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新井貴浩の名言!「自分は生まれた時から…」に隠された内容とは?

元プロ野球選手
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新井貴浩あらいたかひろは、広島カープで2,000本安打以上を達成した選手の一人!野球に対して熱い男です。
 
 
新井貴浩の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

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新井貴浩の名言の意味とは?

 
新井貴浩は、広島カープで貢献した選手の一人です。熱い男で感動を呼ぶプレーが、ファンの心を鷲掴みにしていました。


 
 
そんな有名人の名言がこちらです。
 

自分は生まれた時から、カープファンだし、広島を出てはいけない選手だとずっと思っていました。

 
この内容は、阪神にFA移籍をしたときのことをインタビューされた際に出た言葉になります。カープファンに悲しまれ、またののしられましたからね。
 
 
意味がこちらになります。
 

自分は生まれも育ちも広島なのでカープファン。しかも大学から広島カープに入団する際に、大学の先輩や監督に話をまとめてもらったため、広島カープで野球人生を終えなくてはいけないと思っていました。

 
先輩や監督の恩を忘れない、義理堅い男なんです。
 
 
だけど金本知憲と一緒に野球をやりたく、広島カープから阪神タイガースへFA移籍をすることになりました。このように言っていますよ。
 

移籍の最大の理由は「もう一度金本と一緒に野球がしたい」という金本移籍以来抱えていた強い思いであったが、それを口にすれば金本本人に迷惑が及ぶとして会見では自重した。また、「FAなんて……」という発言は「FAがなければ金本が出て行くことはなかったし、金本がいれば自分も移籍を考えることはなかった」という思いから自然と口に出てしまったものであった。

引用:Wikipedia

 
それだけ金本知憲を先輩として、リスペクトしていたのです。
 
 
それも含めて広島カープを、愛していました。実際に阪神タイガースから広島カープに復帰した際、大歓声で祝ってもらえています。

本人もその感動を、「あれは一生忘れられない。今度は自分がファンを喜ばせたい。絶対に喜ばせる」と誓い、翌年の2016年のリーグ優勝に大きく貢献しました。

広島ファンのために自分自身を奮い立たせて練習し、まさにのカープ愛が生み出した、感動とも言える出来事。新井貴浩の名言には、このような内容が隠れていたのです。
 

新井貴浩とはどんな人?


 
新井貴浩は1977年1月30日に生まれ、広島県広島市中区江波の出身です。野球は小学校から始め広島市立天満小学校、そして中学校は広島市立五月ヶ丘中学校と進学。

高校は県立広島工業高校に行き、野球を続けたのです。ここで練習に練習を重ね、怪我のしにくい強靭の身体を作り上げました


 
 
しかし甲子園の出場は無く、勉強を頑張って駒澤大学へ進学。4年生の時に頭角を現して、日米大学野球で打率5割を記録したのです。同じく4年生の時の秋のリーグ戦では、打点王としてベストナインを獲得しました。このころから、プロへの意識が芽生え始めたのです。
 
 
そこで考えたのが、駒澤大学から広島カープに入団し、すでに活躍していた先輩に知ってもらうことでした。それが野村謙二郎だったのです。

実際に新井貴浩はその年のドラフト前に野村謙二郎の自宅に訪れ、バットスイングしてアピールしていたというから驚き。その他に駒沢大学の監督のコネも使い、スカウトの話をまとめてもらったようです。

このように野村謙二郎の推薦、そしてスカウトの推薦もあり、1998年のドラフト会議で広島カープから6位指名されて入団しました水面下では、いろいろあるのですね。
 
 
現役時代の身長は189センチ・体重が102キロ。大柄で、パワーヒッターの体格です。ホームランを量産したのが頷けます。
 

新井貴浩の功績とは?

 
新井貴浩は広島で9年⇒阪神で7年⇒広島で4年と、球団を移りました。入団当初は、「よくそんな細い体でプロに入って来られたな!」と、先輩に馬鹿にされるくらいだったようですよ。そこで広島カープで猛練習を積み重ね、タイトルを取れるまで成長したのです。
 
 
キャッチャーだった西山秀二が、このように言っていますよ。
 

当時のカープは、まちがいなく12球団でいちばん練習していました。カープは練習し過ぎるから選手が故障するんだと批判もありましたが、カープの首脳陣はきつい練習をさせて潰れるような選手はいらないという考えだったんですよ。きつい練習を乗り越えて一流になれる選手しかカープにはいらない。どういうことかというと、カープではいい選手イコール強い選手なんですよ。全身がバネのようで、走れる、打てる、守れる選手。

そんなチームに入ったのも、新井の幸運ですよね。彼は元々、隙あらば手を抜いてやろう、楽してやろうというタイプですからね(笑)。12球団一の練習量を無理矢理にでもやらせるカープで鍛えられたから、あそこまでの選手になったのはまちがいない。

引用:週刊現代

 
そのおかげから、本塁打王1回・打点王1回。表彰は、最優秀選手・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・月間MVP・JA全農Go・Go賞・優秀JCB・MEP賞・オールスターゲームMVPと、数々を受賞しているのです。

また2,203本のヒットを積み重ね、名球会入りも果たしました。ここまで成長できれば、プロ野球界に残した功績は大きいです。若手の選手には、努力さえすれば成果が出ることを証明していますからね。素晴らしい功績だと思います。
 

新井貴浩が野球で成功した理由とは?

 
新井貴浩は、広島カープで13年・阪神タイガースで7年の合計20年を、野球人生に全うしました。

引退後は野球解説者・野球評論家と、すべてプロ野球界に関わっています。ここまでくれば、野球で成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?やはり、「自分は生まれた時から、カープファンだし、広島を出てはいけない選手だとずっと思っていました。」という名言が、大きくかかわってくるのです。
 
 
実際に実力がない新井貴浩は広島カープからドラフト6位で獲得してもらい、猛特訓で本塁打王を獲得するスラッガーにまで育て上げられました。スポーツ報知元記者の駒沢悟氏が、このように言っています。
 

「入団当初からシゴきにシゴかれていた新井を折に触れ気にかけていたのが金本でした。食事に連れて行っては、『お前が生き残るには、キツイ練習にも耐えるしかないんじゃ』と励まし続け、二人でジムに通い、人知れずマンツーマンでバッティングフォームをチェックしていた」

引用:週刊現代

 
師匠と呼べる人から言われたことを信じ、練習に練習を重ねたのです。そうした努力で、無名の選手からホームランバッターにまで成長しました。このような内容を聞けば、阪神タイガースへ金本知憲を追っかけて移籍したのが頷けますね。
 
 
また野球で成績を残すことは、練習をすることが大事と言っていますよ
 

「確かに、間違った方向で同じことを繰り返したら、回り道が長くなるかも知れないけれども、最終的にはやったもの勝ちなんですよね。練習は嘘をつかないですし、やったもん勝ちですよね。何もしなくて休んでてうまくなるような甘いものじゃないので、やればやるだけ生き残っていく世界でしょうね」

引用:Full-Count

 
結果を残した人が言うので、説得力がありますね。
 
 
かつ阪神タイガースから広島カープに戻る際は、新井貴浩の性格が良いこともファンから受け入れられたのでしょう。このように言われていますよ。
 

温厚で優しい性格であり、大学の1年先輩である高橋尚成は、大学時代の新井を「打てないし、守れないが、足はそこそこ速く、素直で先輩の受けはとても良かった」と話している。若手のころはとにかく先輩からオモチャにされ、広島時代の金本が本塁打を打った際には、金本は他の選手とはハイタッチをするが新井だけには張り手を喰らわせたり、選手会ゴルフの始球式で打球方向に立たされたりするなどのエピソードが残っている。

引用:Wikipedia

 
いじられキャラでもあるけど性格が良いことが、カープファンから愛された理由なのでしょうね。見るからに頷けます。
 
 
以上のことから新井貴浩は、義理堅くて人に好かれる性格だったこと真面目に継続し、がむしゃらに練習したことが、野球で成功できた理由ではないでしょうか?
 
 
私は世間に名を残したいと思い、日々奮闘しています。知識を深めたいと多方面の異職種の人たちとも、コミュニケーションを取るようにしていますよ。

また文章力を養うため、読書やお手本の本を写す写経も毎日実践しています。やはり継続して何事も続け、謙虚な気持ちで人と接することが、目的が叶う近道なのではないでしょうか?私も新井貴浩を見習い頑張って成功したいと、心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
新井貴浩は子どものころから生粋の、カープファンだったようですよ。実際に幼少期のエピソードがあります。
 

幼少期から広島の大ファンであり、パジャマはカープのユニフォームをあしらったものであった。

引用:Wikipedia

 
パジャマまで広島カープ柄だったとは驚き。ということは、赤がラッキーカラーなのでしょうね。恐れ入りました。
 
 
 

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