福本豊は、阪急ブレーブスの黄金期を支えた関西のプロ野球選手!引退したのが1989年なので今の若い人にはあまり知られていませんが、世界の福本と言われる偉大な人物なんです。
そんな福本豊の名言には、どんなものがあるのでしょうか?意味はどうなのでしょう?今回はその辺を、ジックリと見ていきたいと思います。
福本豊の名言の意味とは?
「世界の盗塁王」「世界の福本」と言われていた福本豊。今回は俊足ならではの名言。
その内容がこちらです。
この内容は、1999年に阪神のコーチとして選手に伝えていた内容です。「何を当たり前なことを言っているの?」と思った方がいるかもしれません。名言の深い意味はこちらです。
盗塁を確実に成功させるにはまず投手のクセをビデオなどで細かく研究することが大切で、普通の練習では習得できないようです。すると1つを極めることで、相乗効果が生まれます。
盗塁するために眼を鍛えることは、制球眼が良くなるのです。
ストライクかボールかを見分ける力のこと。
結果的に甘い球を見抜くことで、打撃にも活きて打率がアップするわけ。ある分野で技術を一つだけ伸ばしていくと、とんでもない領域までたどり着けるのですね。私たちも自分の仕事で、ここまでやり遂げたいものです。
次の章では、福本豊の生まれや学生時代を紹介します。
福本豊とはどんな人?
福本豊は1974年11月7日に、大阪府大阪市の生野区で生まれました。小学3年生の頃に三角ベースというゴムボールを手や角材で打つ遊びで、初めて野球に関わります。小学5年の時に両親の仕事の都合で、布施市(現在は東大阪市)に引っ越しました。
その後布施市立布施第三中学校(現在は東大阪市立金岡中学校)の準硬式野球部に入部。2年までは補欠ばかりでしたが、3年時に一塁手でレギュラーになります。
その後、大鉄高等学校に進学。1年の夏の地区予選で、右翼手レギュラーになります。2年生以降は、中堅手のポジションで打順が1番になりました。3年の夏には、第47回高等学校野球選手大会に出場をします。
卒業後は社会人野球の松下電器(現在はパナソニック)に進み、俊足が武器だった福本豊に監督は、「(俊足の花形選手の)広瀬寂功になれ」と言いました。後に福本は「広瀬さんは神様やね、プロに入ってからもそれは一緒よ。雲の上のかたやったな」と語っています。
社会人野球1年目の1966年からは、外野手のレギュラーを勝ち取ります。そして3年目の1968年には、同僚の加藤秀司、岡田光雄らと共に補強選手として都市対抗に出場。河合楽器に勝ち、チームを優勝に導きました。
そこでスカウトの目に留まり、1969年に阪急ブレーブスにドラフト7位指名で入団したのです。
福本豊の功績とは?
福本豊の功績は多いのですが、その中でも代表的なものを紹介します。MVPを1回、盗塁王を13回。ベストナインを10回、ゴールデングラブ賞を12回獲得しているのです。その後は盗塁のMLB記録を塗り替えたりと大活躍。通算で2,543本のヒットを打ち、名球会入りを果たしていますよ。
現役引退後は、1989年にオリックスの一軍打撃コーチを務めました。1992年から1997年までは、朝日放送(現在は朝日放送テレビ)・サンテレビジョンで野球解説者になります。
1998年・1999年には阪神タイガースの一軍打撃コーチに就任。現在は野球コメンテーターとして活躍しています。
福本豊の発言はなかなかユニークなものが多く、国民栄誉賞をも断っているのです。そのときのエピソードがこちら。
盗塁のMLB記録を超えた後、当時首相の中曽根康弘から国民栄誉賞を打診されたが、固辞した。この際、「立ちションもできんようになる」と言ったと報じられた。真意として、賞の第一号であった王貞治のような「野球人の手本」になれる自信がなかったこと、麻雀や喫煙もたしなむため他の受賞者に迷惑がかかると考えたことを、2013年の取材に対して述べている。
引用:Wikipedia
偉人と呼ばれる人たちには物怖じしない発言が、珍しくないことなのかもしれませんね。^^;
福本豊が成功した理由とは?
福本豊は、プロ野球選手として大成しました。ただここで疑問になるのが、なぜ成功できたのか?ということです。やはり名言で言われている、盗塁するには、まずは塁に出ることから。という内容が、大きく関係すると思いますね。
冒頭で言ったように、盗塁するにはまず塁に出なくてはなりません。そのため俊足を活かすための走るフォームを研究、さらに選球眼やバッティングの質を向上させました。
1つのことを極めるためには、他のこともできないといけないのです。結果的に相乗効果もあって、一人の人間として質を上げることに繋がります。
実際に監督とのやり取りで発破をかけられたのが、良かったのかもしれませんね。
「足が速いので三塁側に転がせば内野安打になります」と監督の西本幸雄に話したこともある。しかし、西本には「そんな楽な練習しかしていなかったら力など絶対つかない」「いくら体が小さくてもしっかり振り切るバッティングをしなきゃいかん。オフの間にバットをしっかり振れる体を作ってこなければレギュラーには使えん」「ツボに来たらホームラン、ってものを持っていないとプロでは長生きできない」とひどく叱られたという。1970年にはドン・ブレイザーが「福本は本当にもったいない。あの足でもっとショートゴロを打てば、確実に首位打者になれるのに」とコメントした記事を目にし、セーフティバントを遊撃手の方に転がす練習をしたところ、西本から「そんな打ち方しとったら、お前に代えて正垣や当銀を使うぞ」とやはり叱られた。
引用:Wikipedia
西本監督にこっぴどく怒られたことで、無心に打撃練習ができたのでしょうね。しっかりバッドを振る練習をしたおかげで3割を7度記録したり2500本安打を達成、また世界の盗塁王としても成功できたのです。
また面白いコメントをすることでも有名。視聴者に対して配慮がある性格が、引退後のコメンテーターや解説者に抜擢されることにつながったのでしょうね。福本豊はこのように言っています。
技術的な説明を求められると「ゴーン」「カーン」「ビャッと」などの擬音で表現することが多い。福本は著書で「その場で思いついた表現でもええから、誰にもわかる言葉でポンポン伝える。視聴者が『そうそう、自分もそう思う』と相槌を打ってくれるような放送をしたい。」と解説のポリシーを述べている。
引用:Wikipedia
1つのことに集中し、頑張ったおかげでの相乗効果。さらに配慮ある人格が世間でも評価されたことで、成功に繋がったのではないでしょうか?
私は文章のスペシャリストとしてなることを、目標に置いています。さらに名を残せる人物になりたいのですが、毎日行っている写経のトレーニングが役立っているのです。
手本となる本を書き写すこと。
たとえばメールの返信や、与えられた仕事の資料作り。ちょっとした文章での説明時です。日本語を勉強することで、伝える力がアップしますからね。
確かに何かを成功させるためには、普通に努力してもなかなか達成できません。人間としての質を上げるためにも関係しているすべてを集中し、極めるつもりで頑張りましょう。結果はついてきますので。応援していますね。
まとめ
福本豊は自分の奥さんにもプロ野球選手ということを、言っていなかったようです。このようなエピソードがあります。
世界の盗塁王・福本豊は、奥さんに仕事の話もせず、奥さんも野球に関心がなかったので、松下電器から阪急に入団した時も、「職場が阪急に変わった」としか言わなかったとか?長期の遠征中に、奥さんは阪急の駅に、福本という駅員を探したがなかなか見つからず。福本の特徴を話して、ようやく理解できた、ある駅の人が、「あんたの旦那さんは、もしかして、阪急ブレーブスの福本豊ちゃうの?」と言われて、初めて旦那の仕事が分かったらしい。
引用:yahoo知恵袋
大物の選手は、いろんなエピソードを持っています。このような内容がコメンテーターとしての成功へと、繋げているのでしょうね。
コメント