古田敦也は、ID野球の申し子と呼ばれた人物です!キャッチャーながらバッティングセンスは、ピカ一でしたよ。
古田敦也の名言には、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。
古田敦也の名言の意味とは?
ミスタースワローズで有名な古田敦也。
日本プロ野球選手会会長として球団側との先頭に立ち、初のプロ野球ストライキ決行を主導しました。今回は、そんな有名人の名言を紹介しますね。
その内容がこちらです。
これは、過去にインタビューされて出た言葉ですね。経験からの発言は、重みがあります。
意味がこちらです。
どんなスポーツでも上達していくには、まず技や戦略を心得ることが大事です。なぜなら人は知らないことは想像することもできないですし、理解も当然できません。
普段からできないことを、行動や試合のプレーに生かすなんて不可能。だから知識や情報を練習の時からイメージし、シュミレーションをしておくことが結果につながる足掛かりとなるのです。
よくプロの選手は、イメージトレーニングを行なっているという話があります。それは知識や情報があってこその、練習方法。古田敦也の名言には、このような内容が隠れていたのです。
古田敦也とはどんな人?
古田敦也は1965年8月6日に生まれ、兵庫県の川西市出身です。鎌倉幕府を開いた、源頼朝の本拠地のようですね。
野球は、小学校3年生の時に地元の少年野球チームに入って始めました。入部直後は太っていたこともあり、キャッチャーがいなかったという理由から、捕手を任されることになったのです。
中学は宝塚市立南ひばりヶ丘中学校に入り、注目された選手に成長。高校進学時は私立校から誘いがありながらも、自宅から近い公立の兵庫県立川西明峰高等学校に進学したのです。甲子園出場も果たせず、高校3年間はほぼ無名の存在で過ごしました。
その後、関西大学商学部・立命館大学経営学部経営学科の一般入試を受験してどちらも合格。勧誘もあり、立命館大学に進学しました。トレードマークの眼鏡は先輩に会った際に見過ごさないため、大学から使用したようですよ。
そこからさらに成長し、関西学生リーグで通算77試合に出場して234打数72安打、打率308、8本塁打、44打点を記録。3年生の時にはチームを関西学生リーグ戦春季・秋季連続優勝に導き、4年生の時にはキャプテンを務めて大学野球日本代表のメンバーに選出されたのです。
その頃にはプロ野球の各球団から注目されていて、プロを目指すようになりました。しかし古田敦也は乱視などの影響でドラフト会議でどこの球団からも指名を受けることなく、新卒採用に応募してトヨタ自動車に入社。
その後、社会人野球で活躍の古田敦也のプレーに惚れ込んだヤクルトスカウト部長の片岡宏雄に勧誘されました。そして1989年 ドラフト2位で、ヤクルトスワローズに入団が決まったのです。
現役時の身長は182センチ、体重は80キロ。プロ野球人として、理想の体格ですね。
古田敦也の功績とは?
古田敦也はヤクルトの正捕手として、長らくプレーしました。
この間に取ったタイトルは、首位打者1回・最多安打1回。通算で2,097本のヒットを積み重ね、名球会入りを果たしています。
受賞した賞は、最優秀選手・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞・日本シリーズMV・オールスターゲームMVP・月間MVP・最優秀JCB・MEP賞。
さらに最優秀バッテリー賞を、以下の投手と6回記録しています。(※6回選出は歴代最多タイ記録)
- 1991年 投手:西村龍次
- 1992年 投手:岡林洋一
- 1995年 投手:テリー・ブロス
- 1997年 投手:田畑一也
- 2000年 投手:五十嵐亮太
- 2001年 投手:藤井秀悟
ここまででも十分功績を残していますが、現役引退前から選手兼監督を務めました。引退後はメディアにもよく出て、野球以外のスポーツを盛り上げています。2020年には東京でオリンピック・パラリンピックがあるので、活躍がさらに期待されますね。
古田敦也が野球で成功した理由とは?
古田敦也はヤクルト一筋18年間を、野球に全うしました。2005年から引退する2007年までは、選手兼任監督という素晴らしい大役を任されたのです。
引退後は野球解説者・タレント・スポーツキャスターと活躍し、野球で成功したと言っても過言ではありません。掴み取ったとも言えるのでしょうね。
では、なぜ成功できたのか?
やはり、「15秒や20秒といった短い時間の中で判断を決めるためには、やはり準備としての知識や情報の蓄積が必要なのです。試合が始まるまでに1回の試合を行っているくらいの気持ちで、頭の中でシミュレーションをしておくのです」の名言が、大きくかかわっているのです。
というのも古田敦也は、決断をスッパリと下す「優柔決断」を推奨しています。まさに名言の通り、以下のように言っていますよ。
まず先入観や好き嫌いで篩にかけず、本、インターネット、人づてなど何でもよいので、あらゆる手段を使って情報を収集する。次に現在の環境に愚痴を言わず、与えられた環境の中でいかに最大限の力を発揮するかを大事にする。ブレることを恐れず、進歩することが必要なら成功体験に囚われず変化を求めるべきである。野球の技術を手に入れるためには、情報を収集するだけではなく実際に体験して自分のものにする。それから15秒から20秒の思考時間で取捨選択できるように、頭の中にファイルを作り、情報を体系化する。プロ野球選手は弱点を克服していなければレギュラーを守れるはずもないため、相手に弱点があっても、それが2年前の情報であればその情報を捨てる。そして成功イメージを描きすぎることによってそれに囚われて自分の打撃などができなくなるため、描きすぎないようにする。周りの空気に流されないことも重要である。即決グセを付け、最後は腹をくくることが大切である。
引用:Wikipedia
さらに古田敦也のポジションはキャッチャー。「名捕手あるところに覇権あり」と野球界で言われているだけあって、サポートに重点を置いて考えていました。
中でも盗塁を阻止することはピッチャーの気分も良くさせ、勝利を導かせるよう考えていたのです。そこで普段の練習から、送球などに気を配って練習していましたよ。
<どんなに肩の強い人がいくら速いボールを投げたからと言っても、二塁ベースのはるか上だったら捕球からタッチするまでに時間がかかってしまう。ノーバウンドだろうが、ワンバウンドだろうが、二塁までの時間は大して変わらないのだ。ベースの上、30センチぐらいに球がいけば何とかなるのだと思うようにしよう。何よりも正確さを優先すべきだ>
問題は「正確さ」を、どう担保するかだ。古田によれば、ボールを握る人指し指と中指をボールの縫い目にきちんとかけて投げられるか否かがカギとなる。
「要はキャッチボールでも必ず(指を)縫い目にかけて投げるクセをつけておくことが大切です。当然ながらフォーシーム(ボールが回転する際に長い縫い目が4度見える)の握りが一番いいボールがいく。それをピッチャーの頭あたりを目がけてピュッと投げるんです。その場合、基本的にセカンドベースは見ていない。だいたい、あのへんという感覚で投げるんです」引用:SPORTS COMMUNICATIONS
日頃からの練習で、いろいろ考えていないといけないのでしょうね。
また古田敦也と言えば野村克也の申し子として、有名な存在。著書ではカミングアウトしていますよ。
「とりあえず言われたことには分からなくても『ハイ!』と答えていました」
本の冒頭からいきなり衝撃的なカミングアウトである。打たれてベンチに戻ったら監督からどやされ、ストレスばかりが溜まっていく。だが、野村監督は日本一の実績を残してきた捕手、新入りの自分が意見を言っても聞いてもらえるわけがない。そこで古田は現実を受け入れ「何も言わずに引き下がって耐える」方法に出る。完全なイエスマンになったのである。そうして2年3年とハードワークに耐え、試合でも結果を残し始めると、徐々に「あのピッチャーはどうだ?」と監督の方から意見を求められるようになったという。聞かれて初めて意見を言う。実績に差がある上司には反発しても意味がないし、ともに働く内に時間が解決することもある。で、古田は悟るのだ。選手は上司を選べないと。とにかく相手がどういう人か見極めてから考えて動くID野球の申し子。目上の気を遣う先輩に質問する時は、ただ「どんなバットを使っているんですか?」ではなく、「なんであんなに飛ばせるんですか? バット見せてください」とまず相手の長所を褒めてから聞く。まるで敏腕営業マンのような隙のなさ。ファンやマスコミからの厳しい声に対しては「叱責は前向きに受け止め、批判はサクサク消化する」大人のスタンスで対応するのが古田流である。
引用:excite ニュース
過去に野村克也について書いた記事があるので、お時間がある際にお読みいただけるとありがたいです。

やはり試合に出る前の準備が、大切なのでしょうね。
以上のことから考えると古田敦也は、普段から情報収集をして自分で考えるようにしていたこと。基礎練習をおろそかにせず試合を想定し、高い目標を置いて練習したことが、野球で成功できた理由ではないでしょうか?
私は世間に名を残したいと思い、日々奮闘していますよ。情報も取り入れようと、師匠と呼ばれる人の意見を全て聞き入れています。さらに自分磨きとして、文章作成の練習も毎日頑張っていますね。
中でもお手本となる書籍を書き写す写経は、文章力アップの手助けになっています。最近では役職の書類作成やメールの応答など、いろいろ任されるようになりました。
今後も古田敦也のように精進し、努力を怠らないよう頑張ろうと心に誓いましたね。
まとめ
古田敦也は、2015年1月23日に野球殿堂入りを果たしています。その際に野村克也が、このように言っていますよ。
「私がヤクルトで9年間監督を務めた間に4度優勝したが、持論である『優勝チームに名捕手あり』を体現できた。古田の成長と合わせて、ヤクルトは強くなっていった。殿堂入りを誇りに思う。当時の選手では初めての殿堂入りは当然だろう」と祝福のコメントを寄せた。
引用:Wikipedia
選手冥利に尽きる言葉ではないでしょうか。元監督にこんな言葉を言われて、最高だと思いますよ。誰かに褒めてもらえるよう、頑張っていかないといけませんね。
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