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原辰徳の名言!「いいことは引きずらない…」に隠された内容とは?

元プロ野球選手
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原辰徳はらたつのりは現役時代に、ジャイアンツの4番打者として活躍した選手!監督としては、名将と呼ばれてもいい人物だと思いますね。
 
 
そんな原辰徳の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた意味はあるのでしょうか?いろいろ見ていきたいと思います。

 

 

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原辰徳の名言の意味とは?

 
原辰徳はジャイアンツで活躍し、12年連続で本塁打20本以上を記録した選手。


 
 
監督としてはチームに愛を掲げ、選手とのグータッチが印象的で柔和なイメージ。その名言がこちらです。
 

いいことは引きずらない、悪い結果が出たときは引きずらなきゃいけない。

 
一見すると、なかなか理解が追いつかないかもしれません。
 
 
この内容は2013年の監督時代に、記者に聞かれて言った言葉になります。名言の意味がこちらです。
 

良い結果ばかり思い出していても、成長できません。そこで悪い結果が出たときこそ冷静になって分析し、修正していくことを考えなくてはいけないのです。なぜなら、失敗は成功のもとだから。

 
無限に広がる可能性は、実際に試してみないとわからないものです。それが選手であれプレーであれ、関わる全てのことを。たとえ失敗を繰り返してもその後の行動力こそが、成功に欠かせない力になるのですからね
 

原辰徳とはどんな人?

 
原辰徳は1958年の7月22日に生まれ。幼少期は福岡県の大牟田おおむた市で過ごし、小学校2年に父の転勤で神奈川県の厚木市に転居。厚木市と相模原市の小中学校で勉学します。
 
 
高校は神奈川県の東海大相模高校に進学。1年生から3塁手でレギューラーとして活躍し、夏の甲子園には3年連続で出場を果たします。


 
 
甲子園の大会ではのちにプロ野球で活躍する、定岡正二や宇野勝、土屋正勝、杉村繁らと名勝負をしました。

卒業後は、東海大学政治経済学部経済学科へ進学。在学中は7度のベストナインを獲得し、打撃三冠王を2度達成したのです。3年生の時に日本で開かれた日米野球大会では逆転満塁本塁打を放つなどの活躍で印象付け、1980年のプロ野球ドラフト会議で巨人に1位指名され入団。
 
 
選手時代は男前で若大将とも呼ばれ、身長は181センチ、体重は84キロ。ホームランバッターとして、名を馳せました。
 

原辰徳の功績とは?

 
原辰徳の現役時代は、最多打点者賞・最多勝利打点者賞・最優秀新人賞・最優秀選手賞・ベストナイン賞・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞と受賞しています。通算で1,675本のヒットなので、残念ながら名球会入りを果たせませんでした。
 
 
原辰徳の功績は現役時代よりも監督時代の方に価値があるのです。というのも人を指揮する能力が高く、さらに懐の深さもあります。この土台となるものは、読売ジャイアンツで培ってきた経験が根底にあるのでしょうね。
 
 
過去にジャイアンツでつながりが深い、長嶋茂雄と王貞治について書いた記事があります。お時間がある際にお読みいただけるとありがたいです。

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原辰徳はインタビューしてみるとわかりますが、人を敬う気持ちがあって優しさと思慮深さを感じます。また選手には一人ひとり目をかけて偉そうにすることをせず、しっかりとジャイアンツ愛で育てるタイプです。


 
 
どんな分野でも成功できる人は、謙虚さと優しさ、思慮深さ(学び続ける姿勢)があるのです。原辰徳はその3つを兼ね備えた、日本が世界に誇れる監督のひとり。これからも末長く活躍し、頑張って欲しいですね。
 

原辰徳が監督として成功できた理由とは?

 
原辰徳は、7度のセントラルリーグ優勝、4度のクライマックスシリーズ優勝、3度の日本一。日韓クラブチャンピオンシップやアジアシリーズ、WBC世界一でも優勝し、監督として成就したと言っても過言ではありません。ここで疑問になるのが、なぜ成功できたのか?
 
 
やはり、「いいことは引きずらない、悪い結果が出たときは引きずらなきゃいけない。」の名言が大きくかかわってくるのでしょうね。というのも原辰徳はチームを強くするために、悪いときの結果を徹底的にコーチ陣と分析するのです。


 
 
そして指揮する際には、まず勝利至上主義という戦うチームを作り上げることに念頭を置いて行動します。実際に質問された記者に、このように言っているのです。
 

原監督は「相手を見るというより、自分のチームをどうやって戦う軍にするか。これがまず私の一番の大きな作業」と説明。

引用:スポーツ報知

 
その結果、大型の戦力補強であったり選手の育成であったり。驚くことに試合になれば、主軸打者でも送る必要がある時にバントさせるという、個人成績よりチーム優先させるスタンスを取るのです。
 
 
またチームの柱になる選手には愛のムチと称して、手荒く当たります。結果的にハートをつかむことになり、忠誠心を得ているのです。このようなエピソードがあります。
 

第2次監督時代(2006年〜2015年)に投手陣の柱として活躍した内海哲也には「ニセ侍」、「突発性四球病」などと厳しい言葉をかけることもあったが、実はその裏では「お前が必要なんだ」といつも励まして使い続けたという。内海自身、様々な環境の中で押しつぶされそうだった自分を、温かく見守ってくれた原の恩には、必ず「日本一」で報いたいと語っている。

引用:Wikipedia

 
このように自分自身が見込んだ選手に対してはあえて突き放したりしますが、結果はどうであれ裏で褒めたり励ましたりして相乗効果を生み出すのです。
 
 
原辰徳はそれだけチーム内の選手に気を配り、またコーチと密に接していろいろな情報を仕入れたうえで試合に活かしていたのでしょうね。この的確な采配に関し、WBCで投手コーチになっていた与田氏がこのように言っています。
 

「僕は2009年のWBCで原監督のもと、コーチをやらせてもらいましたが、印象に残っているのが決断力の早さです。監督というのは、ゲームの中で瞬時に判断しなければいけないことがたくさんあります。継投であったり、代打であったり……。その時に、ワンテンポ遅れてしまったために取り返しがつかなくなることが多々あります。その決断する早さはどこから生まれてくるのかといえば、情報力なんです。監督はチームのことをすべて把握できません。それぞれの担当コーチが選手の状態を監督に伝え、その情報をもとに監督が判断を下す。決断するのが早いということは、しっかりコーチが選手ひとりひとりの情報を把握し、監督に伝えていたということです。選手個々の力はもちろんですが、組織としての強さも感じましたね」

引用:livedoor NEWS

 
信頼できるコーチとは、普段からのコミュニケーションが重要になってきます。
 
 
以上のことから言える原辰徳が監督として成就した理由は、スタッフ一丸で分析してのチーム作り。そして個々の選手と緻密な交流が、大きく結果を生み出したのではないでしょうか?
 
 
私は世間に名を残したいと思いいろいろ頑張っているのですが、何かしら空回りすることが多く・・・。

そう考えると原辰徳に見習い、何が成功できない理由なのか?どんな道筋で進めばいいのか?これらを考えて進んでいきたいと思います。たとえ失敗しても遠回りなんて無いのでその経験をバネにし、試練だと考えて頑張りますね。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
原辰徳は、独特の言語感覚があります。その原ワールドが選手やスタッフから愛され、いい方向へと向いていったのです。今後、日本のプロ野球が盛り上がってくれることを願っています。
 
 
 

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