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堀内恒夫の名言!「誤算も計算のうち。…」に隠れた内容とは?

元プロ野球選手

 
 
堀内恒夫ほりうちつねおは、巨人の試合を中心に実況する野球解説者!もともと投手だったのです。だけど監督や政治家のイメージが、強いかもしれませんね。
 
 
そんな堀内恒夫の名言には、どのようなものがあるのでしょう?隠れた意味はあるのでしょうか?今回はその辺を見ていきたいと思います。

 

 


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堀内恒夫の名言の意味とは?

 
堀内恒夫は、政治家にもなったことのある有名人物。


 
 
今回は名言について紹介します。その内容がこちらです。
 

誤算も計算のうち。思い通りに進まないことは、きっちり軌道修正していけばいい。

 
これは2004年の監督時に記者に聞かれて、発言した内容ですね。
 
 
名言の意味がこちらになります。
 

何でも結果が残せないことを想定し、次の行動を決めておけばいい。そうすれば、いざ現実に悪い内容になったとしても慌てふためくことなく、冷静に対処できる。

 
堀内恒夫の名言は、一見すると強がりのように聞こえてしまいます。しかし違うのです。
 
 
誰しも計算通りに進まないことがあります。でも前もって細かく軌道修正を想定しておけば、努力や時間が無駄になりませんからね。

当たり前のことではありますが、どれだけ実践できるかで結果に繋がります。何かうまく行かない時が、人には必ずありますからね。そのときを想定しておけば、対処できるのです。謙虚に自分を見つめ直す人は成長できますよ
 
 
世の中の成功している人たちは、結果が出なく試行錯誤している時期があるのです。そんなときでも前もっていろいろ考えておけば、軌道修正したときに上手くことが運ぶかもしれませんよ。
 

堀内恒夫はどんな人?

 
堀内恒夫は1948年1月16日に、山梨県甲府市の養蚕業(生糸工場経営者)を営む家に生まれました。


 
 
野球漬けの子供時代を送っていたと思いきや、中一時は使いっぱしりがひどくないサッカー部に入部していたのです。その後に野球部の部長に誘われて、中二でしぶしぶ入ることになりました。名投手でもこんなことがあるなんて驚きです。
 
 
高校は甲府市立甲府商業高校に入り、1年生の時から中堅手・控え選手として活躍しました。2年からエースとなり、西関東大会決勝まで進出しますが敗退。3年時の夏の大会も準決勝で負け、甲子園の夢は閉ざされてしまったのです。

しかし山梨県大会の実績が買われて1965年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け、入団することになりました。
 
 
現役時代は、身長178センチで73キロ。身体が均整のとれた体格で、ピッチャーとして理想的だったと言われています。だから好成績を残せたのでしょうね。
 

堀内恒夫の功績とは?

 
堀内恒夫は新人の時から、開幕13連勝を含む16勝を記録。さらに最優秀防御率・最高勝率・沢村賞・新人王のタイトルを、総なめにしました。

その他にも、最優秀防御率・最高勝率・最多勝。新人王・最優秀投手・沢村賞・ベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞・MVPと、数え切れない賞を手にしているのです。
 
 
なかでもすごいのが、13年連続で10勝以上を残しました。赤枠部分が成績になります。1972年には、26勝もしているのがビックリです。
 

引用:Wikipedia

 
最近では2013年に現ニューヨークヤンキースの田中将大が24勝を挙げていますが、この年の登板数が28試合。堀内恒夫が26勝時は、48試合も登板しています。古き人はスタミナも根性も、素晴らしいものがあったのでしょうね。

このようにピッチャーとしては功績を、十分すぎるほど残しているのです。ちなみにプロ通算18年で203勝をあげていますが、名球会を退会していますね。
 
 
そして引退後は野球評論家や巨人コーチなども務め、2003年に巨人の監督に就任します。優勝を成し遂げられず2年で幕を引いた後は、自民党比例代表で2010年に繰り上げ当選しました。堀内恒夫は政治家としてもスポーツの環境づくりを確立させるため、積極的に活動したのです。
 

堀内恒夫がピッチャーで成功した理由とは?

 
上記の章でもお伝えしたように堀内恒夫は、甲府商業高校からドラフト1位で巨人に入団しました。実を言うとこのドラフト会議は、記念すべき第一回目に開催されたモノだったのです。

入団後は、二軍生活もほとんどせず一軍定着してフル回転。新人王はもちろんのこと、巨人の優勝に大きく貢献しました。その後も沢村賞や最優秀投手賞を勝ち取ります。こんな好成績が出ているのは投手として成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?

やはり「誤算も計算のうち。思い通りに進まないことは、きっちり軌道修正していけばいい。」という名言が、少なからずとも関係していると言えます。
 
 
実を言うと堀内恒夫は若いときからふてぶてしい態度から、「悪太郎」また「甲斐の小天狗」と言われていました。

しかしあだ名とは裏腹にピッチャーとしての地道な研究は、怠っていなかったのです。影の努力という軌道修正をした結果、好成績につながっていたのでした。エピソードがこちらです。
 

初登板以来自分が投げた結果をスコアラーの資料の元、打者ごとに細かく分析しノートにつけていた。先発前夜になると眠れなくなるほど真剣にピッチングの組み立てを行った。また試合前やキャンプのミーティングでも居眠りしているようできちんと全部ノートに書いていた。

引用:Wikipedia

 
こうやって、地道に対戦バッターの研究を重ねていたのです。また上手くいかない場合のことも緻密に考えておき、軌道修正しながら13年連続10勝以上の勝ち星を挙げました。結果的に他チーム選手を分析すること自体が、引退後の監督業や野球評論家の仕事へと結びついているのがすごいです。
 
 
また堀内恒夫は幼少期に指を切断していますが、このハンデをも武器にしています。エピソードがこちらです。
 

小学生時代に右手人差し指をうどん製作機に挟まれ、1cmほど切断する大怪我を負っている。しかし、そのことで手の形が変わったことが独特の大きなドロップカーブを生み出すことになった。

引用:Wikipedia

 
微妙な指の長さが配球にも影響していたとは、なんとも凄い話です。実際に大きく曲がるドロップカーブと速球を織り交ぜて、勝ち星を積み上げたのですからね。
 
 
さらに外人投手とのコミュニケーションをとり、球種をも増やすという努力も怠らなかったのです。エピソードがこちらになります。
 

球質は軽いが切れがよく、遠くから弓なりに伸びる直球、一度浮き上がってから突然急ブレーキがかかったように曲がり落ちる大きなカーブ、ロサンゼルス・ドジャースのベロビーチキャンプに参加した際、ビル・シンガーから教えを受けたチェンジアップを武器とした。コントロールは危なかったが逆球にはならずピンチに強かった。

引用:Wikipedia

 
以上のことからすると堀内恒夫が成功できた理由は、結果が出ないことを想定し、その都度研究して軌道修正。さらに日々、何事に対しても考えて行動していたことが成功できた理由ではないでしょうか?
 
 
私はライターのスペシャリストになりたいと、毎日文章を書いています。なかでも写経を行い、読みやすい内容が書けるよう努力していますよ。

≪写経とは?≫
お手本となる本を、書き写すこと。

 
それと同時にもしものことを考えて想定し、軌道修正しながら行動しているのです。学生の時だけ勉強ではなく、生きている限り毎日学ぶという風に心がけないといけませんね。成功できるよう頑張りたいです。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
堀内恒夫は登板時に緊張をほぐすため、わざとバックネットに投球練習の1球目を暴投していました。まさに悪太郎の異名通り、肝が据わった人物です。このあつかましさが良い方向に動き、好成績へと結びつけてくれたのでしょうね。ある意味感心します。
 
 
 


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