井口資仁は、ダイエーやロッテで活躍したプロ野球選手!メジャーリーガーとしても、アメリカでも頑張りましたよ。
そんな井口資仁の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。
井口資仁の名言の意味とは?
井口資仁は、日本とメジャーで活躍したプロ野球選手。主にセカンドやショートの守備を、巧みにこなしました。
有名人の名言がこちらです。
この内容は、引退試合後の会見で発言された内容になります。野球人生の中であったことを思い、深い意味が込められている言葉なのです。
かみ砕いた内容がこちらになります。
井口資仁の名言は目標設定をシッカリ立て、実現するために今何が必要か?を見極めることが重要と言っているのです。そして達成に向けて一歩一歩を上がるように、念入りに準備を行います。
もし目標を定めずに、ただ日々に流されたまま生きていると成長できません。だってそう思いませんか?
毎日、目標を持って活発に活動するアグレッシブな人と、ただ言われたことだけする人を比べると一目瞭然です。後者であれば過ぎ去った後で、なんであの時にもっと挑戦しなかったのだろう?と、後悔ばかりになるでしょうね。
これは野球に限らず、仕事でも言えること。作業はキッチリと時間内にこなす!お客さんに笑顔で接したい!10分前行動を心がける!など、まずは小さな目標でいいのです。すると相乗効果で、人間として成長できますからね。
人は目標を立てないと、怠けてしまう生き物。井口資仁の名言には、このような深い内容が隠れていたのです。
井口資仁とはどんな人?
井口資仁は1974年の12月4日に生まれで、東京都西東京市の出身になります。同郷の有名人には、モデルで歌手のきゃりーぱみゅぱみゅ。女優の清水美沙・多部未華子がいますよ。
ところで井口資仁は小学4年生時に近所の少年野球チーム「ビクトリー」というチームに入り、野球を始めました。
この時からキャッチャーを始めたのです。その後小学校5年生で、別の少年野球チームの「保谷リトルクラブ」に移籍することになりました。中学も野球を続け、3年時に全国大会にも出場を成し遂げたのです。ちなみに小中のときには、キャプテンを務めていました。
高校は、國學院久我山高等学校に進学。ここから内野の守備をし、2年の夏に3番の遊撃手として甲子園に出場したのです。2年の秋から3年の夏までは主将を務めて3番・遊撃手としてプレーしますが、甲子園に出場できませんでした。
その後、青山学院大学に進学し、4年の春から秋まで主将を務めたのです。開催されたアトランタオリンピックでは野球日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献。その甲斐あって福岡ダイエーホークスを逆指名し、1996年のドラフト会議でダイエーに1位指名されて入団したのです。
現役時の身長は178センチ・体重は91キロ。ガッシリタイプの内野手でした。
井口資仁の功績とは?
井口資仁は、ダイエーに8年・シカゴホワイトソックスに2年半・フィラデルフィアフィリーズに半年・サンディエゴパドレスに1年・ロッテに9年の21年間を、野球に捧げました。
この間にタイトルは、盗塁王2回。表彰は、ベストナイン・ゴールデングラブ賞・月間MVPと、数々を受賞しました。この他に安打数は、日本で1760本・メジャーで494本の、合計2,254本打って名球会入りしているのです。
ここまででも、十分野球で功績をあげているのではないでしょうか?
しかも井口資仁は、後輩にも慕われる素晴らしい人物。ロッテで選手として在籍時は、周りから尊敬されていたのです。
ロッテでは、“背中でアドバイスをする”その姿勢から“お父さん”と評されていた。
引用:Wikipedia
先輩や後輩から慕われた人物が現在、指揮をとっている立場です。今後のロッテが、どのようになるのか楽しみですね。
井口資仁が野球で成功した理由とは?
井口資仁は、日本球界で17年・メジャーリーグで4年。2017年の引退後は、2018年シーズンからロッテの一軍監督を任されています。
今後も解説者や評論家など、野球に関わっていくことでしょう。ここまでくれば、野球で成功したと言っても過言ではありません。では、なぜ成功できたのか?
やはり、「目標だったり、自分の軸というものをしっかり持っていたので、それがこの21年間しっかり出来たことだと思いますし、これからも次の目標に向かって、しっかり目標設定してやっていけたらと思います。」の名言が、大きくかかわってるのだと思います。
というのも井口資仁は青山学院大学時代に、東都大学通算24本塁打のリーグ記録・最高殊勲選手2回・ベストナイン4回の受賞という、鳴り物入りで福岡ダイエーホークスにプロ入りしました。
しかし入団して4年は思うように結果が出ず、鳥越裕介が加入によりショートからセカンドにコンバートされたのです。
選手の守備位置を転向させること。
ここで当時のコーチだった島田誠コーチから、以下の助言を受けました。
「同期の連中も活躍しているし、悔しいだろ。どうしたらいいと思う? 何でもいいからタイトルを獲ることだよ。お前の同期の連中もまだ誰も何もタイトルを獲っていない」
引用:Full-Count
助言が井口資仁の胸に刺さり、目標を考えに考え抜いたのです。そこで出た答えが、盗塁王を狙う!このように、明確な目標を設定しました。すると、思わぬ効果が出てきたのです。
その内容がこちらになります。
「盗塁を成功するために、より考えて野球をするようになった。配球、クセ。いろいろな状況を観察するようになった。すると、今まで見えなかったものが見えるようになった」
引用:Full-Count
1つの目標を明確にすることで、いろいろな好結果が付いてきたのです。
井口資仁はこの年を機に、成長を成し遂げました。
現実的な目標を設定し、それに向かって無我夢中で挑む行為が井口を変えた。何かを一つずつ成し遂げていく達成感も楽しかった。なにより角度を変えて野球を見ることで新たに見える景色があった。結果的に01年シーズン、140試合に出場。打率.261、30本塁打、97打点。44盗塁で盗塁王を獲得すると同時に打撃部門の他の数字も大きく伸ばした。目標を設定し、それに向かい突き進んだことで思わぬ副産物を生んだのだ。
引用:Full-Count
ちょっとしたコーチの助言からこのように成長を遂げるのは、本人の努力の賜物なのでしょうね。
以上のことから井口資仁は、現実的で明確な目標を設定したこと。それに向けて日々精進して継続的に練習したことが、野球で成功できた理由ではないでしょうか?
私は文章のスペシャリストになりたいと思い、いろいろ頑張っています。
中でもお手本となる本を写す写経は、毎日欠かさず行っていますよ。そのせいか、以前よりも文章力がアップしていると体感できますね。効果は感じていて、役職でのメールのやり取りや書類作成をよく依頼されるのです。
任されることは光栄なこと。何事もポジティブに考えて私も井口資仁のように明確な目標設定を行い、今後の人生に頑張りたいと思います。
まとめ
井口資仁は2017年の引退前行われた、古巣シカゴ・ホワイトソックスの本拠地ギャランティード・レート・フィールドでの引退セレモニー前の報道陣に対し、以下のような目標を口にしていました。
「最終的な目標としてこっちでユニフォームを着たいので、それまでに色々と勉強していきたい」と将来的な夢を明かし、ホワイトソックスに戻りたいと語った。また、思い出深い出来事として2005年の世界一を挙げた。
引用:ベースボールチャンネル
将来はホワイトソックスに戻り、恩返しをしたいようです。なんと律義な方でしょう。このような性格の持ち主が、アメリカのファンからも愛された理由なのでしょうね。頭が下がりました。
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