稲葉篤紀は、ヤクルトと日ハムで活躍した左打者!日本代表の選手や監督でも頑張ってくれました。
そんな稲葉篤紀の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた意味はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。
稲葉篤紀の名言の意味とは?
稲葉篤紀は、セパ両リーグでプレーしたプロ野球選手です。有名な人物には、どのような名言があるのでしょう?その内容がこちらです。
この名言は、選手の時にインタビューされて答えた内容です。
意味がこちらになります。
発明王のエジソンのような天才と言われている人たちも、成功するために失敗の積み重ねをしていました。ここで言えるのが、「何くそ、またチャレンジして絶対に成功してやる!」と取り組み続けた人だけが結果を残せるのだと思います。
それに失敗が無く生きてきた人はおそらく傲慢でプライドが高く、高飛車な人物なってしまうのでしょうね。だってその辛さを知らないので、他人が成功できないと馬鹿にしてしまうだけになるのです。
泥臭い下積みの時代があってこそ、人としての深みが出てきます。人生は失敗というマイナスと成長というプラスの部分があり、努力を積み重ねて経験という賜物を手にするのです。
つまり昔から言われているように、失敗は成功のもと。だから失敗することを恐れないで、継続しないといけません。何も怖がらずに、自分のしたいことを挑戦していきましょう!
稲葉篤紀とはどんな人?
稲葉篤紀は1972年8月3日生まれで、愛知県北名古屋市出身地です。同郷の有名人には、元おニャン子クラブメンバーの渡辺美奈代がいます。
プロ野球選手として名の通った人物ですが、幼少期は気弱な性格だったため、小中学校はいじめにあっていたというから驚きです。
少年時代から野球をしていて、高校は強豪校でもある中京高校に進学。3年の夏の愛知県大会では決勝でイチローがいた愛工大名電高校に敗退し、甲子園を逃したのです。
過去にイチローについて書いた記事があるので、お時間がある際にお読みいただけるとありがたいです。

卒業後は法政大学に進学し、1年春から試合に出ていました。3年時の春からファーストでレギュラーに定着し、4年には四番打者としてけん引。秋季リーグ優勝や、日米大学野球の代表にも選ばれたのです。そして1994年のプロ野球ドラフト会議で、ヤクルトに3位指名されて入団しました。
現役時の身長185センチ、体重は94キロ。ポテトチップスが大好物のため、食べすぎで体重94kgから100kg超まで増えてしまったこともあるようです。
今ではカロリーオフのポテトチップスで、少しでも摂取カロリーを少なくしようと努力しているみたいです。現役時のように食べていると、いつのまにか太ってしまうので大変ですね。
稲葉篤紀の功績とは?
稲葉篤紀はセパ両リーグで、首位打者・最多安打・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・月間MVPなどのいろいろな賞を獲得しました。プロ野球人生の通算で2,167本のヒットを打ち、名球会入りも果たしていますよ。
打撃に関しての特徴は、特に内角を打つのがうまいです。そしてチャンスに強く、チームのメンバーからも絶大な信頼を得ていました。これがファンからもというのが凄くないですか?
というのも得点圏に走者を置いた状態でチャンスが来ると、ファンファーレに合わせて一斉にファンが飛び跳ねる「稲葉ジャンプ」が巻き起こるのです。
他チームの選手もやっていたようですし、これは野球ファンから愛されていた証拠ではないでしょうか?セパ両リーグで活躍したことは、プロ野球界に大きく功績を残せたと思いますね。
稲葉篤紀はなぜ野球で成功できたの?
稲葉篤紀はヤクルトで10年、日本ハムで10年の合計20年をプロ野球選手として全うしました。その後は野球解説者やWBCの日本代表コーチを務め、現在は4年後のWBCまでの契約で日本代表監督に就任しています。
ここまで成し遂げれば、野球で成功したと言っても過言ではありません。
疑問になるのが、なぜ成功できたの?ということです。
やはり、「人間は失敗して、その悔しさを糧に成長する。」という名言が関わってくるのではないでしょうか。
というのも現役時代の稲葉篤紀は練習の虫と言われ、傍で見ていた元日本ハムの打撃コーチ淡口憲治氏がこのように言っています。
稲葉の凄さを、「他人の意見をひとつも無駄にしないこと」と表現する。日本ハムでは、試合後に必ず宿舎の屋上などにコーチと若手が集まり、素振りが行われる。そんな場に、稲葉はスッと現れる。「2年目や3年目の若手に交じって、自分のスイングを丁寧にチェックしているんです。それで合間に我々に『今日の僕、どうでしたか?』と何気なく聞いてくる。聞く耳があるというか、コーチを利用するのが本当にうまい」
淡口氏が続ける。
「プロのスポーツ選手はみんなプライドが高い。だから助言といっても、聞く側も聞かれる側も、厚いオブラートに包んだ会話をすることになる。でも稲葉君なんかは、それをギリギリまで薄くして聞いてきてくれる。そうすると、こちらもひとつ奥まで踏み込んだ話ができるんです」
引用:週刊現代
試合後の練習で悪かったことを克服するために、打撃コーチに聞くという真面目さ。成長するのに妥協しない姿勢が、素晴らしい成績を残すもとになっているのです。
実際にその成果が、エピソードとして残っています。
規定打席に達したシーズンで6度の3割を記録し、2007年には首位打者を獲得するなど巧打に長け、腕をコンパクトにたたんで体に巻きつくようなスイングで内角を打つのがうまく、日本ハム時代の同僚であった新庄剛志からは「稲葉君は内角打ちの天才」と絶賛された。ヤクルト時代にはストレートに滅法強く、変化球には弱かったが、日本ハム移籍後は変化球に強くなり、2009年には曲がる系のボールに対して内角の打率.359、同じく真ん中で.568を誇った。特にカーブを得意とし、森本稀哲曰く「世界一カーブが好きな男性」だという。また、ヤクルト時代には通算打率.232と左投手を苦手としていたが、日本ハム移籍後には2010年までの通算打率.295と克服している。
引用:Wikipedia
苦手とした左投手を克服できたのは、やはり悔しさを糧に練習した成果が出た証拠ではないでしょうか?
また雑誌の取材で、試合で凡打したときの切り替えに全力疾走と答えています。それがこちらです。
凡打ほど悔しいんです。凡打ほど悔しいけど、そこで全力疾走することによって結構切り替えられるんです。あれをたらたらやると、引きずるんです。あの塁間の27メートル(27.431メートル)の間で切り替えができるんです。ピッチャーゴロもそうですよ。ピッチャーゴロ打って、ああ、と思ってゆっくり走るとだめなんです。あそこでバババーッと全力で走ってパッと切り替えるというのが僕のやり方なんです。
引用:高校野球ドットコム
こんな方法で試合中でも手を抜かない真面目さが、見る人をも関心させてくれるのです。
以上のことから稲葉篤紀は、コツコツと悔しさを糧に練習を継続し、人の意見を無駄にしないこと!そして野球に対して1つも手を抜かなかったことが、成功した理由ではないでしょうか?
私は文章のスペシャリストになろうと、毎日文字を書くようにしています。中でも効果的なのが、お手本になる本を書き写す写経が文章力を挙げていると体感していますよ。
この方法は私の師匠となる人に教わったのですが、やはり柔軟に聞き入れる柔らかい頭が必要と思います。それに手を抜かず、真剣に取り組むことも大事です。これからも良いことは取り入れて、成長していこうと心に誓いました。
まとめ
稲葉篤紀の幼少時代は、いじめられっ子だったというのが驚きです。それが野球で人ともに成長したと、親父さんは語っています。
誰の人生にも、大きくかかわる何かが存在するのです。その内容を見つけて、前に進んでいきましょう!
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