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石井一久の名言!「問題意識を持たずに・・・」に隠された内容とは?

元プロ野球選手
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石井一久いしいかずひさはヤクルトや西武、ドジャースで活躍した有名投手!残念ながら200勝こそしていないのですが、十分に投手として成功しています。
 
 
そんな石井一久の名言は、どんなものがあるのでしょう?隠れた意味はあるのでしょうか?今回はそのへんを見ていきたいと思います。

 

 

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石井一久の名言の意味とは?

 
石井一久は天然でゆるいキャラとして、メディアでも有名です。それでもプロ野球の選手として、いくつもの成績を残してきました。名言がこちらになります。
 

問題意識を持たずに、漠然と練習をしている人は伸びません。自分で考え、もがきながら体得していくしかない。

 
この内容は、雑誌の取材で答えた時のものです。名言の意味がこちらになります。
 

人として成長するには、ただ単調に練習しただけではいけません。なぜダメなのか?どうしたらいいのか?と1つ1つ問いかけながら体験を通して理解し、自分のものにするしかないのです。

 
仕事でも問題意識を持って取り組んでいる人は、成長するのが早くなります。


 
 
どんなことでも何も考えず、行うだけでは上達が見込めません。体を動かすスポーツでもそうですし、頭を使う将棋やチェスなどでも言えることです。伝えられたことを漫然とこなしているだけでは仕事の飲み込みも遅くなるでしょうし、未来への展望も見込めないと思えませんか?
 
 
石井一久はもし成長と躍進を望むのであれば、自分で考えてもがきながら仕事に取り組むことを言っているのです
 

石井一久はどんな人?

 
石井一久は1973年9月9日生まれで、出身地が千葉県千葉市若葉区です。野球は小学校三年生の時、父から喘息治療の一環として勧められたのが始めるキッカケでした。


 
 
1989年の3月に千葉市立みつわ台中学校を卒業後、東京学館浦安高等学校に入学。高校一年生の時から投手をはじめました。

その後メキメキと頭角を現し、1991年の夏には千葉県大会予選4試合で、52奪三振を記録。そこで注目を浴びることになり、1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから単独一位指名を受けて入団。

プロに入ってからは、豪速球とスラーブと言われている横にスライドする高速カーブを武器に活躍します。現役時代は身長が185センチ、体重は100キロ。ガッシリとした体格で、ヤクルトの黄金期を支えたのです。
 

石井一久の功績とは?

 
石井一久の功績は、数多く存在します。まずヤクルトに在籍時代はチームが慢性的な左投手不足だったため、中継ぎ・谷間の先発を担って貢献しました。そのおかげで、2年ぶりのリーグ優勝に導いたのです。

また1997年には横浜線でノーヒット・ノーランを達成。1998年から2001年までの間には、4年連続で開幕投手を務めました。
 
 
そして日本球界を代表するエースになり、2001年の末にロサンゼルス・ドジャースと契約。デビュー戦で10奪三振を記録するなどのスタートを切り、メジャー4年間で39勝します。

その後日本球界に復帰し再度ヤクルトに戻り2年後、西武ライオンズに移籍しました。投手の個人成績としては、1000奪三振、1000投球回数、182勝や、最多奪三振・最優秀防御率・最高勝率などの記録も持っています。
 
 
現役引退後は、吉本興業に契約社員となりました。あくまでもコネに頼らず、高卒採用枠での入社です。また2018年には急逝した星野仙一の後任として、現在は東北楽天ゴールデンイーグルスのゼネラルマネージャーになっています。
 
 
過去に星野仙一について書いた記事があります。お時間がある際にお読みいただけるとありがたいです。

星野仙一の名言!「夢は見るものではない…。」の隠れた内容とは?
星野仙一ほしのせんいちと言えば、熱血監督!中日・阪神・楽天、そして日本代表をも指揮してきました。 そんな偉大な星野仙一の名言には、どんなものがあるのでしょう?また隠れた意味はあるのでしょうか?今回はその辺をジックリ見ていき...

 
 
このように石井一久の特徴を三つにまとめると、野球界を代表する左腕投手で常識にとらわれない独特な思考回路を持つユニークな存在。かつスポーツ界の問題に取り組み真摯に取り組もうとしている、実はすごく真面目な人柄だと思うのです。

以上のことから野球界に残した功績は、相当大きなものがあるのではないでしょうか?
 

石井一久が投手として成功できた理由とは?

 
石井一久は日米通算22年間で182勝をし、十二分に投手として名を残しました。ここで疑問になるのが、なぜ成功できたのか?ということになります。

やはり、「問題意識を持たずに、漠然と練習をしている人は伸びません。自分で考え、もがきながら体得していくしかない。」という名言が大きいのです。
 
 
石井一久はテレビのインタビューを見る限りでは、ゆるいキャラでナヨナヨした有名な人に感じると思います。しかし現役時にうけたインタビューでは、ストイックな練習方法を伝えていますよ。その内容がこちらです。
 

もともと、野球選手としてある程度のレベル以上でやりたかったら、しっかり走り込んでおく必要があります。投手でも、下半身がしっかりしていないと速いボールを投げることはできません。今のボクの基礎は、ものすごく走らされた高校時代にあると思っています。多分、日本のプロ野球の同期の投手では、高校時代ボクが一番走っていると思いますよ。高校時代から走り込みを十分に行って、強い足腰をつくっておいてください。

引用:クレーマージャパン

 
上記のように、ピッチャーは走り込みが重要と言っています。というのも下半身がしっかりしていないと、速いボールは投げられないことを体感しているのです。


 
 
また石井一久は研究熱心で投球術について自己流を貫き通し、他人にアドバイスされても聞き流していたというから驚き。30代を過ぎてからはスピードボールに頼らず、考え抜いて軟投派に変化させています。エピソードがこちらです。
 

2004年頃からは変化球や投球術を駆使した技巧派の投球スタイルに変わり、それまでの球種に加え、ツーシームとカットボール、チェンジアップを投球に取り入れるようになった。かつては「速球で三振を取れなくなったら引退する」と語っていたが、技巧派のスタイルになってからの平均球速は約138km/hと球速は下がったものの2006年のNPB復帰後の通算奪三振率は7.78(2012年シーズン終了時)とさほど落ちなかった。本人も「三振の取り方は知っている」と発言している。

引用:Wikipedia

 
いろいろ考えたうえで、体に合った投球術に変えていく。これが投手で成功できた秘訣なのでしょうね。
 
 
さらに引退会見では、このように言っています。
 

石井が引退を表明した時の記者会見で、後輩にかける言葉という質問に対して答えた中に「丈夫な体」という言葉があった。いくらアクシデントに強い石井とはいえ、22年間現役を続けた中で改めてプロとして「丈夫な体」でいることの意味を発見したのだろう。

引用:野球太郎

 
人間にとって、身体が資本ということです。
 
 
以上のことから石井一久が投手で成功できた理由は、年代に応じての投球術を研究したこと。そして丈夫な体を作り上げたことが、成功できた大きな原因ではないでしょうか?
 
 
私は世間に名を残したいと、今でも毎日奮闘しています。やはりまず何をしなければいけないのか?今後どのように進まなければいけないのか?これらを考えて行動しなければいけません。

さらに身体が資本となることですし、健康を維持できないと夢も達成できませんからね。中々平たんな道ではありませんが有言実行できるよう、努力を積み重ねないとダメなのです。地道に頑張りますね。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
石井一久は現在、楽天の取締役でゼネラルマネージャー(GM)です。来年あたりヤクルトの黄金期を支えた古田や高津あたりが、楽天の人事に顔を連ねるのではないでしょうか?今後さらに東北が熱くなりそうですね。
 
 
 

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