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岩村明憲の名言!「何事も苦しむことが礎になる…」に隠れた内容は?

元プロ野球選手

 
 
岩村明憲いわむらあきのりは、足が速くてバットコントロールが上手い印象の元プロ野球選手!メジャーでも活躍されましたよ。
 
 
岩村明憲の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 


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岩村明憲の名言の意味とは?

 
岩村明憲は、俊足でヒットや長打が期待できるプロ野球選手でした。ヤクルトに在籍時代は、打率を3割近くにキープしていましたからね。


 
 
そんな有名な選手の名言がこちらです。

何事も苦しむことが礎になる、苦なくして前進なし。
いしずえとは≫
物事の基礎となる大切なもののこと。

 
この言葉はメジャーリーグのデビルレイズで入団会見に臨んだ際に、英語で自己紹介したときの言葉です。座右の銘の何苦楚なにくそ魂」を、英語で「苦なくして前進なし」と表現が、素晴らしいと感じましたね。意味がこちらになります。
 

行動を起こす際に失敗して悩み、試行錯誤することで自分自身の糧となっていくものです。楽に進めば成長できないのです。

 
人は苦しむことがないと、真剣に物事を考えません。誰でもスムーズに事が運べば、思考なく行ってしまう性質があるのです。それだと進歩がありませんからね。真剣に悩みそして苦しみ抜く経験こそが、人を大きく成長させるのです
 
 
岩村明憲の名言には、このような内容が隠れていたのですね。
 

岩村明憲とはどんな人?

 
岩村明憲は、1979年の2月9日生まれで、愛媛県宇和島市出身です。この地域は、鯛めしが郷土料理のようですよ。


 
 
野球は三つ上の兄と父親がやっていて、必然的に小学校2年からまずソフトボールを始めました。そのときから一生懸命に練習をし、プロ野球選手になりたいという目標がすでに確立していたようです。

中学でも野球を続け、高校は甲子園でも有名な宇和島東高に進学。高校時代は1日6時間というとんでもない練習量でしたが、この甲斐あって2年時に全日本高校選抜の4番を任されたのです。

3年時は愛媛大会では準決勝で松山商業に敗れ、甲子園出場は叶いませんでした。しかしそのときの活躍がプロのスカウトに見抜かれて、1996年度ドラフト会議でヤクルトから2位指名を受けたのです。そして入団が決まりました。

ちなみに3つ年上の兄も、近鉄の選手になっていましたよ。
 
 
現役時の身長は175センチ、体重は92キロ。この体系からのパンチ力と俊足は、エグイものがありますね。
 

岩村明憲の功績とは?

 
岩村明憲はヤクルトに9年⇒レイズに3年⇒パイレーツに半年⇒アスレチックスに1年半⇒楽天に2年⇒ヤクルトに2年と、5つの球団を渡り歩きました。取得したタイトルはありません。

ただ表彰は、ベストナイン:2回・ゴールデングラブ賞:6回・月間MVP:1回・優秀JCB MEP賞:4回・日本シリーズ優秀選手賞:1回・オールスターゲーム優秀選手賞:1回があります。

また日米通算で1,585本(日1,172/米413)のヒットを打っていますが、残念ながら名球会入りを果たせていません。それでも、十分に功績を残しているのです。


 
 
引退後は監督、野球解説者もしていますよ。この野球で得た経験や功績を、今後に役立ててもらいたいですね。
 

岩村明憲が野球で成功した理由とは?

 
岩村明憲は日本球界で13年・メジャーリーグで4年の合計17年を、野球に捧げました。さらに引退後の現在は福島レッドホープスに監督や、球団運営会社の社長も務めています。ここまでくれば、野球で成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?やはり、「何事も苦しむことが礎になる、苦なくして前進なし」の名言が、大きくかかわっているのです。
 
 
というのも岩村明憲は、子供のころから野球バカというくらい、野球の練習に精を出していたようですよ。エピソードがこちら。
 

野球バカ、と言うくらいのやんちゃな野球少年でしたね。実際は野球ではなくソフトボールから入ったんですが。野球好きの父親とソフトボールをやっていた3歳上の兄の影響で、小学2年生から私もソフトボールのチームに入ったんです。それからほぼ毎日休みなく練習をしていました。学習塾にも通っていたのですが、家でも空いた時間を見つけては自主練ばかりしていましたね。練習が早めに終わった日は母の経営していた美容室の駐車場で2時間壁打ちし、10分休憩してまた2時間練習・・・。そんな練習を毎日していたせいで壁にヒビが入ってしまったくらいです。

引用:aruku

 
野球の練習もそうですが、宇和島東高校時の上甲監督と出会えたことも大きなプラスになっているようですよ。
 

上甲監督には高校の3年間で特に礼儀などの精神面を徹底的に鍛えられました。もちろん、技術面でも日々ハードな練習でしたよ。毎日「辞める」と言っていたくらいキツかったですね。今、もう一度あの3年間をやれと言われてももう絶対無理です。でもその3年間で、野球の技術だけでなく人間性も成長できたのは監督のおかげだといえます。それに、自分の先輩が何人もプロになっていくのを見て、自分も上甲監督の下で頑張ればプロになれるのでは、と思い練習に励みました。今は、上甲監督の下で野球をできて良かったと心から思っています。

引用:aruku

 
さらにこんなことも言っています。
 

大事なのは、たくさんご飯を食べること。私はよく小学4~5年生くらいの子にはいつも「丼飯を2~3杯食べろよ」と言っています。たくさん食べて、身体をつくり・体力をつけること。小さい頃から硬式ボールに触れるよりずっと大切なことですよ。私のようにスタートはソフトボールでもプロ野球選手になれるんです。だから、焦る必要はないと思いますね。あとは、この人だと信じられる指導者に出会えればなお良いと思います。でもやはり一番大事なことは「野球がしたい!」という自分の気持ちです。楽しくなければ長続きはしませんから。

引用:aruku

 
プロに入ってからは、いつもこのように考えて取り組んでいたようですね。
 

達成したい目標のさらに上を目指して練習に励みました。例えば、打率3割を達成するためには打率3割2分を目指す、といった風に。それは、目標を100としたときに120を目指すからこそ100を達成できると思うからです。現に私は日本でトップの選手になるという気持ちでプレーし、その結果、メジャーリーグでもプレーすることができました。ワールドシリーズやWBCへ出場できたのも、そうやって目標の上を目指して挑戦し続けたからだと思います。

引用:aruku

 
やはり、野球をしたい気持ちが重要なんです。
 
 
以上のことから岩村明憲は、野球をこよなく愛していたこと常に高い目標を置き、人一倍練習に励んだことが成功できた理由ではないでしょうか。
 
 
私は世間に名を残したいと思い、毎日奮闘しています。中でも文章の書き方を習得しようと、写経の練習を欠かさず行っていますよ。

≪写経とは≫
お手本となる本を書き写すこと

 
成果も出ているのか、プライベートの役職で書類作成やメールのやり取りを任されるようになりました。やはり練習がモノをいうのですね。私も岩村明憲のように成功できるよう、精進して頑張ろうと心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
状況下に応じたバッティングスタイルは、練習で培った賜物なのでしょうね。
 

メジャー挑戦前は三振は多いが甘いボールを逃さない積極的な打撃スタイルだったが、レイズ移籍後は主に1番打者としてバットコントロールに重点を置いた逆方向にライナーをはじき返すバッティングに徹し、2007年にはチームのルーキーとして歴代最高の出塁率.359をマークし、2008年には投手に2930球を投げさせ(両リーグ3位タイ)、左打者ながら左投手に強く、メジャー通算では対右投手打率.259に対し、左投手には打率.287を残した。

引用:Wikipedia

 
適応能力も素晴らしい選手だったのでしょう。今後は選手育成に、励んでもらいたいものです。
 
 
 


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