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城島健司の名言!「今できないからって、それを…」に隠れた内容は?

元プロ野球選手
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城島健司じょうじまけんじは、強打者のキャッチャーとして有名だった選手!3割で30本のホームランも打ちました。
 
 
城島健司の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

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城島健司の名言の意味とは?

 
城島健司は、日本球界を代表する元キャッチャー。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出された際は全試合にスタメン出場し、日本の2連覇に貢献しました


 
 
そんな有名人の名言がこちらです。
 

今できないからって、それを「しょうがない」と思ったら進歩はない。

 
この内容は、過去にインタビューされて出た言葉。
 
 
意味がこちらになります。
 

人は現在できないことをあきらめてしまうと、それ以上上達しません。できないことを研究して実践することで、さらに前へ進むことができるのです。

 
人が可能性を閉ざしてしまうのは、自分にはできないと勝手に決めつけてしまった場合です。必然的に、一生できるようにはなりません。しかし行動を起こすことで、現実を変えることができます。「今できないからしょうがないので・・・。」と言っていたら進歩も成長もありません。

まずは諦めずに、取り組んでみましょう。すると、人は力が出るものです。可能性を決めつけずに、挑戦することに意義があります。その生き方の方が、より自分らしく生きていけるはず。城島健司の名言には、このような内容が隠れていたのです。
 

城島健司とはどんな人?

 
城島健司は1976年6月8日生まれで、長崎県佐世保市の出身地です。長崎の佐世保といえば、ハウステンボスが有名ですね。


 
 
野球は幼少期に、読売ジャイアンツの王貞治の引退試合のビデオを見て、プロ野球選手に憧れるようになったのです。その後、小学4年生の時から少年野球チームに入って捕手を務めました。

そこから中学でも続け、高校は別府大学付属高等学校に進学。監督にはキャッチャーを指名され、打って守って走れる捕手を目指したのです。宣言するだけあって高校一年生のときから4番を打ち、通算70本塁打を記録。

残念ながら甲子園へ出場は果たせなかったのですが、プロのスカウトから一目置かれていました。そして1994年度ドラフト会議にダイエーから1位指名され、王貞治がダイエーの次期監督に内定していることを知って入団を決めたのです。
 
 
現役時代の身長182センチで体重89キロ。ガッシリしたキャッチャーでした。
 

城島健司の功績とは?

 
城島健司は、ダイエー・ソフトバンクに11年⇒シアトルマリナーズに4年⇒阪神に3年と、球団を渡り歩きました。その間に獲得したタイトルはありませんが、たくさんの表彰を受賞しています。

最優秀選手:1回・ベストナイン:6回・ゴールデングラブ賞:8回・月間MVP:3回・「ジョージア魂」賞年間大賞:1回・「ジョージア魂」賞:1回・日本シリーズ優秀選手賞:2回・日本シリーズ敢闘賞:1回・オールスターゲーム優秀選手賞:1回・花のパ・リーグ大賞:1回。

福岡県県民スポーツ栄誉賞・福岡市スポーツ栄誉賞・佐世保市市民栄誉賞。
 
 
中でも素晴らしいのは、最優秀バッテリー賞が5回もあるのです。以下にピッチャーを記載してみますね。
 

  • 1999年、投手:工藤公康
  • 2000年、投手:吉田修司
  • 2001年、投手:田之上慶三郎
  • 2003年、投手:斉藤和巳
  • 2004年、投手:三瀬幸司

 
バッティングも素晴らしく、日米通算で1,837本(日1,406/米431)のヒットを打ちました。だけど、残念ながら名球会入りを果たせなかったのです。それでも十分に功績を残しています。

引退後は、釣り師やタレントとして活躍していますよ。今後、野球界に通ずる若手育成もしてもらいたいですね。
 

城島健司が野球で成功した理由とは?

 
城島健司は、日本球界で14年・メジャーリーグで4年の合計18年、野球を真剣に取り組みました。長くに渡ってプレーし、プロ野球選手として成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?やはり、「今できないからって、それを「しょうがない」と思ったら進歩はない。」の名言が、大きくかかわってくるのです。諦めずに何事も研究したことが、成功に結びついているのでしょうね。
 
 
面白いエピソードがあったので、記載させてもらいます。内容は新人のときに、ダイエー時代の若菜嘉晴バッテリーコーチに習ったキャッチャーとしての心構え。人間心理を活かしていますよ。
 
 
やり取りがこちらです。
 

リードについては、これは配球を組み立てる以前のレベルにあった。若菜は「考える前に、まず感じることが大事だ」と城島に説いた。では、そのために何をなすべきか・・・・・・。

「オマエ、練習は何もグラウンドの中だけで行うものじゃないんだ。街の中にだってヒントはいっぱい落ちているんだよ」
 息子に人生を諭すような口調で若菜は言い、こう続けた。
「たとえば女の人が信号待ちをしているとするだろう。どっちへ曲がるか、じっと観察していればわかるんだ。たとえば右に曲がろうとする人は、必ず右足に重心が乗っていくよ。左ならその逆だ」
「若菜さん、それでもわからない時は?」

「なあ、ジョー、女の人っていうのはな、小ぎれいにしている人は大体、洋服屋さんに入るよ。ちょっと太った人だったら、間違いなく興味を示すのは食べ物屋さんだ。
 これは野球にだって当てはまるんだよ。常にピッチャーがどういう気持ちでいるか、あるいはこのピッチャーがどんな性格なのか。それを考えた上でサインを出すのがキャッチャーの仕事なんだ。
 ジョー、ひとつだけ覚えておいてくれ。これからはオマエの指一本(のサイン)で、ピッチャーが幸せになったり、不幸になったりするんだ。キャッチャーの仕事とはそれほど大切なものなんだよ」

 若菜にキャッチャーとしての心構えを教えられた城島は、その日以来、街角に立っては女性の行方を目で追うようになっていた。中州の雑踏で、あるいは天神の交差点で城島の路上観察トレーニングが始まった。

引用:SPORTS COMMUNICATIONS

 
人間観察はキャッチャーにとって、重要なことなんですね。グランド以外での特訓が、凄いことです。
 
 
さらに投手陣にも根掘り葉掘り聞きまくっていましたよ。
 

工藤と武田に教えを仰いだ際には、深夜の宿舎で就寝している2人の部屋に押しかけたこともあった。特に工藤からは、試合中の配球についてたびたびマウンド上で問い詰められたり、イニング交代中のベンチ前で説教されるなど徹底した指導を受け、後に「あれがあるから今の自分があるという気がする」「工藤さんには本当にいろんなことを教えてもらった」と述べている。

引用:Wikipedia

 
またメジャー移籍した際は日本の記者に、研究熱心な状況を目撃されていました。
 

この間マリナーズの取材に回ったときに目撃したのだが、城島選手は毎試合後にその日起こった出来事をメモにまとめるなど、熱心に研究を続けている。他の選手以上に持っている試合に対する洞察力が、相手投手の投球の組み立てを読み取ることにも大いに反映されているようだ。それを物語るように、ほぼ全チームと一通り対戦を終えた今の時期に打撃が再び好調になった。城島選手に相手チーム、相手投手のデータがインプットされたからだろう。

引用:Number

 
新人時に教わったことが後々の研究熱心な人として、確立されたのでしょうね。
 
 
このように城島健司は、キャッチャーとしてのポジションを深く追求したこと何事もあきらめず後回しにしなく研究したことが、成功できた理由ではないでしょうか。
 
 
私は世間に名を残したいと思い、毎日奮闘しています。中でも文章を書くことが好きなので力を付けようと、写経に取り組んでいますよ。

≪写経とは≫
お手本の文章を書き写すこと。

 
成果が出たのか、プライベートの役職では書類作成やメールのやり取りをお願いされます。さらに人と接するときはよく観察し、気配りをおろそかにしないよう心掛けていますね。私も城島健司のように何事もあきらめずに後回しせず、研究していこうと心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
同僚だった工藤公康は城島健司を、このように言っていますよ。
 

工藤は「僕が育てたんじゃなくて彼が自分で育った」「どれだけ厳しく叱っても食らいついてくる強靭な精神力が彼にはありました」と語っている。

引用:Wikipedia

 
先輩にも褒められるくらい、成長したのでしょうね。素晴らしい精神の持ち主です。
 
 
 

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