門田博光は、フルスイングが印象的なホームランバッターでしたよ!40歳過ぎても活躍していたのが凄いです。
門田博光の名言には、どのような意味があるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。それではいってみましょう。
門田博光の名言の意味とは?
門田博光は40歳にして、打率.311、44本塁打、125打点の成績で、本塁打王・打点王の2冠を獲得したのです。40本を超える本塁打は、高齢にして快挙のこと。
スイングは王貞治を思い出させるような、一本足打法でした。そんな有名人の名言がこちらです。
これは南海にいた当時、インタビューされて出た言葉です。
意味がこちらになります。
人というのは目標を高く設定していれば、それに向けて一生懸命頑張ります。もし低い設定であれば、必然的に努力もあまりしなくても達成できてしまうのです。成長もすることがありません。
これはどんな仕事にでも勉強にでも言えること。たとえば極端な話、東大目指して勉強するのと近大目指すのでは大きく違ってきます。加減というものがありますが、高く設定していれば叶わなくても結果がある程度付いてくるもの。門田博光の名言には、このような内容が隠れていたのです。
門田博光はどんな人?
門田博光は1948年2月26日に山陽小野田市で5人兄弟の三男として生まれ、奈良県の五條市で育っています。というのも父の仕事が失敗し、一家で奈良県に移ったのです。
野球は小学校の頃からプロ野球を目指し、始めました。五条中学でも野球部に所属し、天理高校に進学。高校時には四番打者で中堅手として、甲子園出場に導いたのです。しかし一回戦負け。
卒業後は社会人野球チームクラレ岡山に進み、都市対抗野球大会に4年連続出場。この活躍もあり1968年のドラフトで阪急ブレーブスから12位指名されますが、これを拒否。翌年のドラフトで南海ホークスからの2位指名を受け、入団したのです。
現役時の身長が170センチ・体重が81キロ。小柄なのにホームランバッターというのが驚きですね。
門田博光の功績とは?
門田博光は南海で19年⇒オリックスで2年⇒ダイエーで2年と、球団を渡り歩きました。この間に獲得したタイトルは、本塁打王が3回・打点王が2回・最高出塁率が3回。
表彰は、最優秀選手・ベストナイン・カムバック賞・月間MVP・正力松太郎賞・オールスターゲームMVP・日本プロスポーツ大賞 殊勲賞・報知プロスポーツ大賞・サンスポMVP大賞・野球殿堂競技者表彰と、多く受賞しています。
またプロ通算で2,566本のヒットを積み重ね、名球会入りも果たしているのです。通算本塁打の567本・通算打点1,678点は、王貞治・野村克也についで3番目となります。
過去に書いた記事があるので、時間がある際にお読みいただけるとありがたいです。


ここまででも功績は、十分に残しています。引退後は野球解説者や野球評論家、野球殿堂入りという快挙も成し遂げています。今後は経験を活かし、若手育成に励んでもらいたいですね。和製大砲が生まれることを願いたいです。
門田博光が野球で成功した理由とは?
門田博光はプロ野球人生23年間を、全うしました。数々の記録を残し、野球で成功したと言っても過言ではありません。
では、なぜ成功できたのか?やはり、「ホームランの当たり損ねがヒット。」の名言が、大きくかかわっているのです。
というのこの名言が生まれる転機となる出来事が、現実に生まれていますよ。
アキレス腱の断裂だ。
野球をやめなければならないのかと思うほどに落ち込んだ、どん底だった。自著では「一度、死んだ日」と表現している。当時は、アキレス腱を切って復帰できた選手は、ほとんどいなかった。だが、時間が経つにつれて、気持ちを前に向ける余裕ができてくる。走るとき、すり足にすれば負担は少ないのではないか、などと考えられるようになってきた。
二軍戦を経て9月には一軍へ復帰。ただ、足が完全に元どおりになるのが難しいことも分かっていた。ここでヒントとなったのが治療を担当した病院の医師からのアドバイス。ホームランなら歩いて本塁まで帰ってこられる。走る必要はない……。
確かに、足も速く右翼守備も一流だった巧打者は、足を奪われたことで、三番打者としてアベレージに徹するような打撃も、外野守備も失った。だが、当時のパ・リーグは指名打者制。守備に就かなくても、バット1本で試合に出場することもできる。そして何より、あこがれてやまなかった最大の夢だけは残されていた。むしろ、その夢を追いかける環境が、これ以上ない形で整ったともいえる。
引用:エンタメウィーク
ピンチをチャンスに変える、というのはこのことです。ホームランを狙うバッティングに変更は、究極の選択と言えるのではないでしょうか。
また小柄でホームランバッターになった要因のフルスイングについては、このように言っていますよ。
フルスイングへのこだわりについて、門田は次のように語っている。「ろくでもない解説者が、あんなに強く振らなくても、軽く打てばホームランになるんですけど、と言うやろ。大間違いや。軽く振って本塁打にするにはどれだけ時間がかかるか知らんやつが言うこと。確かに思い切って振ってるうちは30本は超えん。でも、それが軽く振ってるように見えるのは、何万スイング、何十万スイングしているから、そう見えるわけよ。そこを超越せんと軽く打ってるようには見えんのよ」「ワシは朝のコケコッコから、とにかく時間を忘れてバットを振った。普通のやつは出来んから、おれは『変わり者』と言われるんやろな。そこまでやらな、こんな小さな体で500本も打てんじゃろ」。
引用:Wikipedia
やはり練習の積み重ねが、一番の近道なんでしょうね。
さらにホームランを打つコツについて、このように言っていますよ。
「ホームランに恋したらええんや!」
「ホームランに恋して、本気で打ちたいと思えば、そのことばかり考えるようになる。オフは、体は動かんけど、頭の中はそのことばかり。重心をもう少しこう持っていったら飛距離はどうなるとか、下半身が二等辺三角形じゃライナーのままやから、もう少しこうしたらとか……。自分が”変わり者”“頑固者”と思うくらい惚れ込む。そこまで恋できるかどうかや。惚れ込む女にはとことん惚れ込んで一生懸命になるでしょ。それと同じ。でも、いまの野球を見とったら、なにより、惚れ込むというのが難しいんやろうけどな」
現役時代、門田はホームランの魅力に取り憑かれ、骨の髄まで惚れ込んだ。プロ1年目のキャンプで野村克也の打球に強い衝撃を受け、「あんな打球をオレも打ちたい」と強い衝動に駆られたことがきっかけだった。プロ生活を重ねていくうちに「アイツら(外国人選手)にも負けん打球でお客さんをうならせたい」という思いも膨らんだ。8年の歳月をかけ、1キロのバットを年間通して扱えるようになり、「すべての球場で場外ホームランを打つ」と挑んだこともあった。
引用:web Sportiva
研究に研究を重ね、努力したことが実を結んだのでしょうね。
このように門田博光は、ホームランを打つことに集中したこと。高い目標設定で努力を惜しまなかったことが、野球で成功できた理由ではないでしょうか。
私は世間に名を残したいと思い、日々奮闘しています。中でも文章を書くことが上達できればと、読書や写経を実践していますよ。成果が出ているのかプライベートの役職で、書類作成やメールの対応を任されることが多くなりました。
努力を続けてさえいれば、自然と実るものです。私も門田博光のように成功できるよう、頑張り続けようと心に誓いました。
まとめ
門田博光は高い目標設定の重要性を、このように言っていますよ。
「最初はみんな、恋をしてスタートするんですよ。子どもの頃の『ホームランを打ちたい』から始まって、プロの世界でもね……。すぐに壁にぶち当たっても、軽く破るヤツもおる。20本の壁くらいはまだ楽なんよ。だけど、30本の壁はちょっと手ごわい。そこで『これは苦しい』となり、諦めて『20本塁打、70打点、3割でええわ』と進路変更するんや」
引用:web Sportiva
私の場合は役職で誰からも慕われるという偉大な人物設定を、目標にしておかないといけませんね。叶うように願うばかりです。
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