川崎宗則は、日本のプロ野球やメジャーでも活躍した選手!イケメンで、足が速いイメージがあるのですがね。
そんな川崎宗則には、どのような名言があるのでしょう?隠れた意味はあるのでしょうか?その辺を中心に、見ていきたいと思います。
川崎宗則の名言の意味とは?
川崎宗則はムネリンと呼ばれ、ワールドベースボールクラッシック(WBC)の日本代表で初代優勝に貢献しました。なんてったってホームベースをふさいでいるキャッチャーのわずかな隙間をかいくぐり、右手をねじ込んで生還した神の右手を持つ選手です。
そんな川崎宗則の名言がこちらになります。
なかなか奥が深い内容ですね。意味がこちらです。
川崎宗則自身は日頃から周囲の仲間に対し、「俺は弱いよ、すっごくネガティブ」と漏らしていたそうです。底抜けの明るさでムードメーカーだった彼にでも、暗い面があるようですね。だからなおさら、ポジティブになりたい!って憧れがあるのかもしれません。
明るい人には2つのタイプがあります。もともと明るく、人生で闇を知らずに生きてきた人。そしてもう一つが本当は暗い性格だけど、努力して明るく振舞っている人。
たとえ暗い過去があってもそれを乗り越えてきた人の方が、私は魅力的になるのだと思います。川崎宗則は人生の暗闇を知っているからこそ、人を引き付ける力があるのでしょうね。
川崎宗則とはどんな人?
川崎宗則は鹿児島県の姶良市出身で、1981年6月3日に生まれました。大河ドラマ、「西郷どん」のロケ地にもなった場所ですね。
川崎宗則は、兄の影響で野球を始めます。幼少期は軟式野球のスポーツ少年団に入団し、遊撃手として活躍しました。中学時代はイチローにあこがれて、左打ちに変わります。
高校時代は、春夏ともに甲子園球場で行われる全国大会に出場が叶いませんでした。しかし50メートルを5秒8という記録を出したほどの俊足で、地元の球界ではイチローにちなんで薩摩のイチロー「サツロー」と呼ばれていたのです。
高校生ながら1999年のNPBドラフト会議で、福岡ダイエーホークスから4位指名を受けました。ちなみに背番号はイチローの51にあこがれて、次番号の52番。
その後ダイエー・ソフトバンクで活躍し、2012年にシアトル・マリナーズとマイナー契約。ブルージェイズとカブス、そして2018年からソフトバンクに復帰しました。
身長は180センチ、体重は76キロ。プロ野球選手としては、細いタイプですね。
川崎宗則の功績とは?
川崎宗則は、盗塁王や最多安打の記録を持っています。表彰されたものは、ベストナイン・ゴールデングラブ賞・MVPなど多くありますね。通算で1,526本のヒットを打っていますが、名球会入りを果たせていません。
プライベートでは一児の父親でもあり、底抜けに明るいキャラクターです。チームのムードメイカー的存在で、このようなエピソードがあります。
潑剌としたプレーと明るい性格でチームに貢献するムードメーカー。投手が打ち込まれた際などには自らタイムを取って声をかけに行く光景がよく見られる。
引用:Wikipedia
落ち込んでいる選手を励ますのは、チームにとってもキーパーソンです。動画などでインタピューを見ていると、彼の明るさは見ているこちらも楽しくなってきます。
川崎宗則は素直さと明るさを持った選手でした。そして、チームメイトにとっては、エネルギーを与え続けてくれる大切な存在でもあったのです。
川崎宗則はなぜアメリカで人気があったの?
川崎宗則は2012年に大好きなイチローがいる、シアトル・マリナーズとマイナー契約しました。憧れの選手と一緒のチームになれたことは、さぞ嬉しかったでしょうね。
過去にイチローについて、書いた記事があります。お時間がある際にお読みいただけるとありがたいです。

川崎宗則は翌年に、カナダのトロントにあるブルージェイズへ移籍することになりました。そのころからかチームメイトや地元ファンに、絶大な人気を得ることが出来たのです。
ビックリするほどの成績も挙げていません。それなのになぜ?と疑問になられる方もいるでしょう。
やはり、ポジティブになれる人はネガティブな自分を知っていて、受け入れられる人なんだと思う。という名言が大きくかかわってくるのでしょうね。
というのも川崎宗則は、マイナー契約としてメジャーに上がれなくても常にポジティブに考えていたのです。取材した記者に対し、このように返答していました。
「メジャーか3A? 問題ないです。アメリカでプレーすることが僕にとって大切なんです」
「僕にとってはタフです。でも大丈夫」、「これが野球。アメリカの野球なんです。考え過ぎてはいけない。野球ですから」、「ここが好きです。みんな親切だし、楽しい。日本にいた時は、真面目になり過ぎていました。アメリカでは、みんなプレーすることをただ楽しんているんです」と、充実感を漂わせていることを伝えている。
引用:livedoor NEWS
川崎宗則にとってはアメリカでプレーすることが、最も大切だと考えていたのでしょうね。そのことも含め、誰からも愛される存在になりました。
なぜならチームメイトや地元のファンとのコミュニケーションを熱心にとることが、選手生命を繋げると考えていたのです。そのエピソードがこちらになります。
MLB移籍後2年を経ても英語はあまり話せないが、「彼には語学の壁はない。なぜなら笑いとジェスチャーと片言でコミュニケーションをとるから」と評され、旺盛なサービス精神もあってチームメイトや現地のファンから愛されている。
引用:Wikipedia
結果的に川崎宗則は驚くほどの成績は残せませんでしたが、アメリカで人気を得ることが出来ました。エピソードがこちらです。
たしかに、川崎の明るいキャラクターは魅力的で、川崎がアメリカで人気を集めている要因のひとつでもある。ただ、明るくてパフォーマンスもするから人気があるというわけではないと思う。もっとも大きな理由は、川崎が積極的に英語を話すからではないだろうか。拙くても、英語で話す。英語で自分の気持ちを表現しようとする姿にアメリカ人は感銘を受けるのだろう。日本に来た外国人選手が、ヒーローインタビューなどで「アリガトウゴザイマス。アシタモ、ガンバリマース!」と日本語で言うとスタンドが沸くのと同じように。川崎が英語で話す姿を見て「なんかおもしろいことをやっているね。明るいよね」だけで終わらせるのではなく、積極的に英語で話す姿を見習いたいと思うのだ。国際化と叫ばれて久しいが、外国でコミュニケーションを取るうえでもっとも大切な「自分からその国の言葉を話す」ことを川崎は伝えてくれている。
引用:BASEBALL KING
このように川崎宗則は、アメリカで記憶に残る選手として人気を得ることが出来ました。
やはり理由として、成績はどうであれポジティブにいたこと。そしてプロの選手としてチームメイトや地元ファンを大事にするという、環境に合わせた自分なりのコミュニケーションを努力したことが良かったのではないでしょうか?
私も世間に名を残せるように、何事もポジティブに考えるようにしています。また人とのつながりは人徳をもつなげるというので、たくさんの人とコミュニケーションするようにしていますよ。今後も地道に頑張って行きたいです。
まとめ
川崎宗則は実をいうと現在、自律神経の病気になっています。原因はストレスやプレッシャーなどです。本人や家族は大変だと思いますが、今まで築き上げてきた野球界への貢献はたとえ病で倒れたとしても壊れません!自律神経の病気が回復することを願います。
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