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工藤公康の名言!「不調を運や他人のせいに…」に隠された内容とは?

元プロ野球選手
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工藤公康は、長年サウスポーで活躍しました!47歳まで現役で過ごしたというから驚きです。
 
 
そんな工藤公康の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回は、それらを見ていきたいと思います。

 

 

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工藤公康の名言の意味とは?

 
工藤公康は監督としてのイメージが強いですが、ピッチャーをしていた人物。優勝請負人として、4球団を渡り歩いたのです。


 
 
有名人の名言がこちら。
 

不調を運や他人のせいにしていては、いつまでも状況は変わりません。打開したいなら、常に自分に原因を求めるべき。

 
この内容は、過去にインタビューされて出た言葉です。考え方が素晴らしいですね。
 
 
意味がこちらになります。
 

人は調子が悪いと、運や人のせいにしてしまう生き物です。しかし、そんなことをしていれば成長できません。もし解決を求めるのであれば、自分自身を見つめ直して原因を探すしかないのです。

 
人は弱い生き物です。自分にトラブルが起きたとき、相手や周囲の環境のせいにしてしまう時があります。しかし、それでは何も成し遂げることができません
 
 
たとえば何かを開発していたとき、このように言ったらどうなるでしょう?
 

「いやぁ、俺のアイディアは悪くないのに助手が無能すぎるからまた実験が失敗しちゃったじゃん。それにこの研究所の設備が悪くて、安定した実験が全然できない~。。。」

 
ちょっとたとえ話が大げさになりました。ただこのように言い訳ばかりしていたら、開発できるものも不可能になってしまいます。そこで自分自身に原因を求めて、なんで失敗しちゃったのかな?と考えられれば、経験が積めることになるのです。

結果的に人生の糧にもなり、後々に伝えることができるようになります。もしも相手に原因を求めるだけだと永遠に成長できませんし、関係性も崩れてしまうのでしょうね。
 
 
因果応報という言葉が教えてくれているように、全ての物事には原因があって結果があります。

≪因果応報とは≫
人は善い行いをすれば善い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。

 
人生は原因を相手ではなく自分に求めていくことで、無限に向上していけるのです。今日からあなたも考え直してみませんか?コツは、「いいことは周りのおかげ、悪いことは自分に責任がある」と謙虚に思えばいいですよ。
 

工藤公康とはどんな人?

 
工藤公康は1963年5月5日生まれで、愛知県豊明市の出身です。父は九州男児で、男ばかり5人兄弟の4番目だったようですね。

野球を始めたのは、小学校の低学年。なんと最初は父のキャッチボール相手を、無理やりやらされていたというから驚き。中学時は一旦ハンドボール部に入りますが、強肩を買われて野球部に転部したのです。

高校は名古屋電気高校(現・愛知県工業大学名電高校)に入り、エースで見事に甲子園へ出場。大会でノーヒットノーランを記録し、チームをベスト4に導いたのです。


 
 
その活躍から、1981年のドラフト会議で西武ライオンズに6位で指名されました。入団に関していろいろあったようですが、無事プロ入りとなったのです。

一年目の頃は、監督の広岡達朗からかわいがられていました。しかし時には厳しい教育をされ、ピッチャーとして大きく成長したのです。
 
 
現役時代の身長は、175センチで体重は85キロ。小柄ですが、ガッシリタイプのピッチャーですね。
 

工藤公康の功績とは

 
工藤公康は西武・ダイエー・巨人・横浜と、球団を渡り歩きました。

その間に、最優秀防御率4回・最高勝率3回・最多奪三振2回のタイトル。そしてMVP・最優秀投手・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・最優秀バッテリー賞・正力松太郎賞と、多くを受賞しました。

さらに現役時代は14度の優勝・11度の日本一。西武、ダイエー、巨人の3球団で日本シリーズを制覇と、輝かしい功績を残したのです。その関係から、優勝請負人という異名がつきました。
 
 
引退後はスポーツ評論家や野球解説者をし、2015年からソフトバンクの監督を続けています。しかもすべてAクラス入りという快挙を、達成しているのです。あまりにもすごい経歴なので、頭が下がりますね。
 

工藤公康が野球で成功できた理由とは?

 
工藤公康の現役時代は、西武で14年・ダイエーで5年・巨人で7年・横浜で3年の合計29年。ソフトバンクの監督は5年目と、野球で成功したと言っても過言ではありません。では、なぜ成功できたのか?

やはり、「不調を運や他人のせいにしていては、いつまでも状況は変わりません。打開したいなら、常に自分に原因を求めるべき。」という名言が、大きくかかわっているのです。
 
 
というのも工藤公康は自分自身に原因を求めながら、練習に取り組んでいました。


 
 
現役時代の雑誌インタビューで、このように言っていましたよ。
 

言うことも言いますが、僕自身も練習しています。そして、新しいトレーニング方法などを積極的に取り組むようにしています。なぜかというと、「いつ打たれるんだろう」「いつケガをするんだろう」と常に不安だからです。それでも、自分が思うような結果が出ることもあれば、そうでないこともあって、たとえ自分のイメージどおりだったとしてもせいぜい数試合。1年を通して”完璧”など無理な話ですから、どんなに努力しても満足することはありません。いつも不安と闘いながら練習を考え、練習を続けています。

引用:Tech総研

 
好成績を残すためには、見えない努力もいっぱいされているのです。
 
 
また工藤公康は常識にとらわれずに、人が実行しないことをして良かったと言っています。
 

僕が長く現役を続けられたのは、もちろん30代、40代のトレーニングの成果があります。特に40歳以降の選手のトレーニングは、未知の領域でした。体幹を鍛えるのは、今は当たり前のトレーニング法ですが、当時、それを意識的にやっていた選手は少なかったと思います。常識にとらわれず、人がやっていないことをやったからこそ、選手生命を延ばすことができたのだと思います。もちろん、40歳を過ぎてから球速が上がるなんてことは、まず現実的にあり得ない。せいぜい全盛期のスピードを保つのがやっと。でも、この平行線を維持することが大変なんです。常にチャレンジし続けないと、とても維持なんてできません。

引用:NECネクサソリューションズ

 
さらに自分自身の食事についても奥さんのサポートを受け、改善しているのです。エピソードがこちら。
 

僕が食事を気にするようになったのは、結婚をしてからです。正直に言って奥さん任せなのですが、当初は必ず15品目が食卓に並びました。ありがたいのですが、食べきるのが大変でストレスも多少ありました。そこで奥さんが考えてくれたのが「消化の良い食べ合わせ」と「消化酵素を多く使わずに済む順番」でした。食事で消化酵素を使い過ぎると、就寝中に疲労を回復するための酵素が不足します。ですから、お肉を食べるなら、食事の前にパパイヤやパイナップルなどのフルーツを食べることで、消化酵素を補うと効果的なのだそうです。この2つの工夫で最終的には、15品目が4、5品になって食べやすくなりました。食事が変わってからは調子が安定しましたし、身体の状態が良いのが分かるので、自然とストイックな状態を保つことができ、野球のことばかり考えるようになりました。

引用:MIZUNO ZONE LAB

 
食事で体調が様変わりするなんて、本当に驚きです。
 
 
以上のことから工藤公康は、自分自身に原因があると見つめ直し、何事もチャレンジと練習に励んだこと。そして健康を保てる生活を心がけたことが、野球で成功できた理由ではないでしょうか?
 
 
いくつになってもチャレンジは必要です。結果を出せないことは自分自身に原因があると、考えなくてはいけません。

私はプライベートでやったことのない領域を、挑戦するようにしています。たとえば役職を引き受けたり、利益の出ない作業をもこなしたり。そこですぐに結果が出なくても焦らずに考え、実行するようにしていますよ。実際、信頼を得ることに繋がります。

また何事も成功を掴むためには体が資本です。私は健康を保つために野菜を毎日摂ることを心がけたり、筋トレをするようにしていますよ。これだけでも、十分病気にならずに体を維持しています。
 
 
どんな目標を達成するにも、健康でいることが絶対条件ですからね。このように工藤公康を見習い、自分を見つめ直してチャレンジすることや、体に優しい生活を心がけていきたいです。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
工藤公康は現役時から少年に対して、アドバイスを送っていました。
 

子供たちに夢を与える活動「夢の課外授業」の発起人として、2000年より全国の小学校を訪問している。毎年オフに神宮の室内球技場で行っているチャリティキッズベースボールスクールも2009年までに15回開催(主催二十一世紀倶楽部)。

引用:Wikipedia

 
子どもたちに夢を与えているのは、非常に素晴らしいですね。多くのプロ野球選手が生まれることを、願っております。
 
 
 

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