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栗山英樹の名言!「幸せになるってことは才能に…」に隠れた内容は?

元プロ野球選手
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栗山英樹くりやまひできは、名選手を育て上げた有名な監督!中でも大谷翔平を型破りの二刀流で教育して一流選手にし、メジャーに送り出したのがスゴイですね。
 
 
そんな栗山英樹の名言には、どのようなものがあるのでしょう?隠れた意味はあるのでしょうか?今回はそのあたりを、見ていきたいと思います。

 

 

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栗山英樹の名言の意味とは?

 
栗山英樹は過去に選手としてヤクルトに在籍していましたが、現在は日本ハムの監督として有名です。
 
 
そんな名言がこちらになります。
 

幸せになるってことは才能に頼ることじゃない。苦しむからこそ知恵が生まれるし、努力ができる。

 
これは監督となって記者に質問され、選手のことを思って答えた内容になりますね。
 
 
意味がこちらです。
 

もともと備わっている才能が、大事なんじゃない!成果が出ないと、考えて考え抜く。それを実践すれば、結果が付いてくることになるのだ。

 
確かに才能は、良い結果を生み出すことが出来ます。


 
 
しかし何もしなければ、花が咲くことはありません。ただただ、目の前にある練習を頑張るしかないのです。

それでもすぐに結果が出ないでしょうが、さらに考え抜いて成果が出るように努力を積み重ねます。最終的にこのプロセスが骨と肉になり、人生の糧となって良い結果に結びつくことに繋がるのです。
 
 
栗山英樹は自分自身が苦労することで、人として成長ができることを言っています。
 

栗山英樹はどんな人?

 
栗山秀樹は1961年4月26日生まれで、東京都小平市出身になります。野球のきっかけが兄に誘われたことで、小学校低学年から始めました。中学校の始めはバレー部に入ったのですが、3年時にはポニーリーグのチームに所属。

≪ポニーリーグとは≫
世界の子供と試合が出来る硬式野球リーグのこと。

 
日米野球で活躍し、MVPを受賞して注目を集めたのです。その結果、創価高校からスカウトされて入学。だけど甲子園には出れなかったため、教員を目指して東京学芸大学教育学部を受験して合格したのです。


 
 
大学時は硬式野球部に入部し、投手と内野手で活躍しました。卒業後は就職を考えましたが野球への夢が出てプロチームの入団テストを受け、ヤクルトスワローズのドラフト外入団が決まったのです。
 
 
現役時代は、174㎝で75キロ。メニエール病に悩み、規定打席を満たないことも多かったようです。

≪メニエール病とは≫
平衡感覚が狂い、突然のめまいや立ちくらみが襲う三半規管の難病のこと。

 
結果的にこの病が現役7年のプロ野球人生に、終止符を打つ原因になったのでした。
 

栗山英樹の功績とは?

 
栗山英樹はプロ野球の選手としては、ヤクルトにしか在籍していません。7年間の通算で336本のヒットを打ちました。

打率やホームラン王のタイトルは取っていませんが、1989年に外野手部門でゴールデングラブ賞を1回だけ受賞しています。守備で評価され、輝かしい賞をもらったのです。

中でもダイビングキャッチが有名ですね。本人は中学の時のバレーに所属したことが、成果につながったと言っています。


 
 
栗山英樹の功績は、選手のときより監督時代の方が目立っていると思いますね。それもそのはず日本ハム監督に就任した2012年には、新人監督として17人目のリーグ優勝を成し遂げます。また2016年には、リーグ優勝と日本シリーズでも頂点を極めたのです。

人材育成では、中田翔・大谷翔平というホームランバッターも育て上げました。ここ数年では早稲田実業の清宮幸太郎や、金足農の吉田輝星も獲得しています。今から成長が楽しみです。
 
 
このように栗山英樹は日本球界の未来に、楽しみを残してくれました。そう考えると残した功績は、きわめて大きいと思いますね。
 

栗山英樹が監督で成功した理由とは?

 
栗山英樹は日本ハムの監督として7年間も指揮をとり、成功したと言ってもいいのではないでしょうか?やはり考え抜く力にプラスして、教員を目指して国立大学の東京学芸大学に合格した頭脳が大きく影響したのでしょうね。

さらに現在は白鴎大学の経営学部教授として、籍を残しているから驚きです。
 
 
また他の理由としては、「幸せになるってことは才能に頼ることじゃない。苦しむからこそ知恵が生まれるし、努力ができる。」という名言が関わってくるのではないでしょうか?
 
 
カメラで有名なキャノンの社長・坂田正弘(キヤノンマーケティングジャパン株式会社 代表取締役社長)と対談したときに栗山英樹は、マンガのようなチームをつくりたい!と言っています。

この考えって、見てる側はワクワクしちゃうと思いませんか?


 
 
確かにその年の有名になった高校の選手や大学の選手にスポットを当て、ドラフト会議に臨んでいる感じがします。それを踏まえたうえで、このように言っているのです。
 

球界には大きく二つの意見があって、監督が徹底的に選手を指導し修正しなければならないという意見と、プロに入ってきた選手は誰だっていいものを持っているのだからいじってはならないという意見です。僕はどちらかというと後者の立場で、優れた才能といい環境があって、いい精神状態を保つことができれば、誰でも能力を発揮できると思っています。特に一流の選手は、こちらから何も言わなくても、修正すべき点があれば自分で修正できるものです。よく周囲からは叱られますよ。「監督としてもっと選手に口を出せ」と。でも、僕は選手自身が本来の良さを発揮できればそれでいいと思っているんです。

引用:Canon

 
人を活かすためには選手に考えて考え抜いてもらうよう、環境づくりが大事とわかっているのでしょうね。現在メジャーリーガーの大谷翔平がいた際は、独自のルールを作って成功に導かせています。
 

大谷翔平がルーキーだった時につくったルールで、その後「大谷ルール」として定着した決まりがあります。それは、「寮や宿舎から外出する時は、誰と出掛けるかを必ず監督にメールする」というものです。新人時代に野球に本気で取り組める環境をつくるには、周囲からの誘いをある程度シャットアウトする必要があります。外出の報告を義務付ければ、周囲も誘いにくくなるので、野球に没頭できるようになりますよね。このルールは割とうまく機能しました。一野球選手として、あるいは人としての基本的なルールをまずは守る。それさえできれば、野球自体は自由にのびのびとやらせてあげたいと思っています。

引用:Canon

 
さらに監督采配としては、その時々に臨機応変に対応しているのが好結果へと結びつかせています。中でも2016年に日本シリーズを制覇した際は、パリーグのリーグ優勝で離れ業を演じているのです。そのエピソードがこちらになります。
 

開幕から首位を独走したソフトバンクに一時最大で11.5のゲーム差をつけられながら、6月19日から7月11日まで球団新記録となる15連勝などで猛追。特に、監督就任からケガを除き一貫して4番打者として起用し続けた中田が不振に陥った際、6月28日の対西武戦では好機で中田に代打矢野謙次を送ったり、開幕から不調が続く守護神増井を8月から先発に転向させたりするなどの策を講じた。また、開幕から打撃が好調の大谷が先発投手の試合において、DHが使用できるパ・リーグ主催試合でありながら、スタメンに敢えてDHを使用せず「投手・大谷」を入れ(5月29日の対楽天戦など)、7月にマメの影響で大谷の登板が不可能となった際には、二軍降格ではなく指名打者として一軍に帯同させながら、9月の投手復帰に向けた調整をさせた。

引用:Wikipedia

 
選手を信じての仰天采配で、見る人をも惹きつけさせてくれます。
 
 
以上から見ると栗山英樹が監督として成功した理由は、選手を信じて考えさせる環境を作ったこと。そして時代に応じて若手を育成させる柔軟な考えができる適応能力や指導力が、成功した理由ではないでしょうか?
 
 
私も世間に名を残したいと思い、日々奮闘中です。その時々にいつも思うのが、時代に合わせて対応しないと成功できないということが身にしみてわかります。

例えばAIが当たり前の時代になってきているので、昔のような単純作業の仕事が無くなると言われているのを知りませんか?そう考えると、次の一手が必要になるわけなんです。
 
 
私も考え抜いて行動し、努力していきたいと思いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
栗山英樹が育てている選手は、どれも魅力的な存在です。中でも斎藤佑樹投手!彼には成果を出してもらいたいですね。陰ながら応援しています。
 
 
 

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