黒田博樹と言えば広島カープ!30歳を過ぎてからドジャースやヤンキースのメジャー球団も渡り歩いた、偉大な選手に該当します。
そんな黒田博樹の名言には、どんなものがあるのでしょうか?また意味はどうなのでしょう?今回はその点を中心に、見ていきたいと思います。
黒田博樹の名言の意味とは?
黒田博樹は男気あるプロ野球選手として、語り継がれた人物です。名言はどのようなものがあるのでしょうか?
その内容がこちらです。
この内容は、メジャーから広島に復帰した際に言われた内容です。黒田博樹の決意の大きさと、覚悟の深さを感じる名言ですね。普段の、私たちが仕事をする取り組みにも言えることだと思います。
名言の意味がこちらです。
一つ一つの事に全力をかけて取り組む、それは当たり前のことなのかもしれません。しかしどうしても私たちは環境に慣れ、甘えや妥協が出てきてしまうことがあると思うのです。
黒田博樹のようにこれが最後の仕事になるかもしれない…。この気持ちで丁寧に思いを込めて行えば、きっと結果が自ずとついてくるのでしょうね。
黒田博樹とはどんな人?
黒田博樹は1975年2月10日に次男として、大阪府大阪市の住之江区で生まれました。大阪は観光地として、またたこ焼きや食い倒れ人形でも有名です。
ちなみに黒田博樹の父は黒田一博というプロ野球選手で、南海ホークスで活躍していたのです。また母は公立高校の体育教師で、1964年には砲丸投げのオリンピック代表候補にも選ばれた選手でした。
小学校は大阪市加賀屋東小学校に入学し、2年生で父が監督を務める地元の少年野球チーム「バイキングジュニア」に入部。それが黒田博樹が本格的に野球に励むきっかけになったのです。中学校も野球チームに入部し練習に明け暮れます。
そして、高校は名門の上宮高等学校に入学。野球に打ち込みますが毎日の練習はとても厳しくキツすぎるもので、いつも辞めたいと思っていたようです。結果的に練習の成果がなかなか出ず、高校野球では3年間補欠でした。
しかし専修大学へ進学後に開花し、1996年のドラフト逆指名2位で広島に入団となります。
身長は185センチで体重は93キロと、かなりの大柄な選手でポジションは投手です。現在は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属しています。
黒田博樹の功績とは?
黒田博樹は広島に入団後、地道な練習を経てエース級に成長していきました。成績や年俸は、毎年確実にアップさせる大活躍だったのです。アテネオリンピックでは野球日本代表に選ばれ、中継ぎ投手として銅メダルに貢献。
その後2007年にアメリカのロサンゼルス・ドジャースと契約し、さらに2012年からニューヨーク・ヤンキースでも活躍しました。
ドジャース時代は、ノーヒットノーランなどの記録があるのです。日本人投手で史上初めてNPBとMLBで先発勝利数のみで、通算203勝をした伝説の投手でもあります。もちろん名球会入りしていますよ。
ちなみに黒田博樹は「彼は努力の人」「義理人情にも厚い」と語るのが、当時の上宮高校野球部監督であった田中秀昌氏。監督が言うには高校時代は特に目立つ選手ではなく、プロに行くのも意外だったようです。しかし野球に取り組む姿勢は、誰にも負けないものがあったと語っていました。
黒田博樹が成功した理由とは?
黒田博樹が広島からメジャーリーグに挑戦した歳が33歳。スポーツ選手としては、衰えがきてもおかしくない年齢。しかしその心配をよそにメジャーリーガになってからの9年間で、10勝できなかった年は最初の2年間だけです。広島に復帰し引退する41歳まで頑張りました。
ここで疑問になるのが、なぜ黒田博樹はメジャーで成功できたのか?
やはり名言である、一試合一試合を全力で、これが最後の登板になるかもしれないから。という思いを込めて試合で投げていたことが、成功した理由でしょうね。
そのためメジャー移籍時は日本式を改め、メジャー流の練習方法を選んだのです。つまり目前の試合だけに集中するのではなく、シーズンを通して投げ続ける体調管理を重要に調整を考えました。そのエピソードがこちらになります。
NPBとはやり方の違うMLBのトレーニングについて「アメリカに来たのでアメリカの野球を受け入れないと、自分のことも受け入れてもらえないと思った。こっちに来た以上はこっちのやり方も自分でトライしてみないと。そういう姿勢というのは、みんなに伝わると思う。アメリカの野球をしに来たので、調整法であれ、トレーニングであれ、一度受け入れることは大事」として積極的に取り入れ、「結果も毎年良くなっているので、アメリカのやり方を信じてトライしたのも僕にとっては良かった」と語っており、また、日本でプレーしていた頃は「練習や試合だけの日もあれば、ゆっくりする日もあるんだろうな」とメジャーについてのイメージを漠然と描いていたが、毎日のようにユニフォームを着て球場に行かなければならない実状を経験して、練習時間が長いと言われる日本のほうがむしろ「しんどくない」と思ったという。そのため「日本と同じような調整では絶対に身体がもたない」と思い、調整法を変えていくことに至ったという。
引用:Wikipedia
やみくもに練習するのでは、なかなか結果が出ません。そこで黒田博樹は、これが最後の登板になるかもしれないから!といつも考えていろいろ柔軟に先を見据えたうえでの結論が、アメリカ式のトレーニング法だったのです。
その練習を思い切って変えたという行動での適応能力が、高年齢でもメジャーにて成功に繋がったのでしょうね。あっぱれな考え方です。
さらに義理人情が厚い黒田博樹はメジャー行きを決めた際に、このように言っていました。
広島への思いを聞かれ「感謝の気持ちでいっぱい。今僕がここにいられるのもカープのおかげ。ファンの方たちにも感謝しています」と涙ながらに答えた。移籍後には「いずれは帰り、恩返ししたい気持ちはある。日本に帰るならカープしかない」とも話していた。
引用:東洋経済新報社
結果的に広島に戻り、カープファンの心というか日本人としての誇りを全世界に知らしめてくれた男気が感動します。この言った通りに行動する律義さが、人間としての成功にも繋がったのではないでしょうか?
やはり何でも成功するためには続けることも大事かもしれませんが、適応していく能力も必要です。
私は文章のスペシャリストになるのが夢ですが、名を残せる人物になることも最終目標に抱いています。そのためにはいろいろ考えて行動することが、重要になってくるのです。
黒田博樹のように将来を見据えて時代や背景に応じての適応能力を身に付け、律義さを忘れずに行動していこうと考えました。
まとめ
黒田博樹はメジャーから広島に移籍するとき20億円の移籍金をけって、5億円の広島を選んだのです。男気があると思いませんか?
さらに復帰してリーグ優勝にも貢献したのです。カッコよすぎます。誰からも愛される人物になりたいものです。
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