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前田智徳の名言!「狙ったら、誰でもある程度は…」に隠れた内容とは?

元プロ野球選手
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前田智徳まえだとものりは、広島東洋カープで一時代を築いた左打者!多くのプロ野球選手から天才と呼ばれた人です。
 
 
前田智徳の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

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前田智徳の名言とは?

 
前田智徳は、広島東洋カープの素晴らしい元選手。多くのプレーヤーから、リスペクトされた人物です。


 
 
そんな有名人の名言が、こちらになります。
 

狙ったら、誰でもある程度は打てますよ。狙わんでも打つところに価値がある。

 
これは過去に打撃について問われたときに、出た言葉です。なかなか難しい内容ですね。
 
 
意味がこちらです。
 

最初からヤマをはって狙えば、誰でもヒットは打てるもの。狙わなくても自分自身のポイントに引き込んで打つのが、名打者とも言えるのだ。

 
プロ野球選手となれば、ある程度の成績を残せます。しかし偉大な功績を残している人は、狙っていなくても結果が出てしまうものです。それがまぐれではなく当たり前にやってのけるのが、偉人と呼ばれる選手たちの共通点になります。
 
 
日々、過酷な練習を積んで努力しているからこそ、狙わなくても打てるという境地にたどりつけるのです。私たちも前田智徳のように努力し、トップクラスにまでたどり着きたいですね。
 

前田智徳とはどんな人?

 
前田智徳は1971年6月14日生まれで、熊本県玉名市(旧玉名郡岱明町)出身です。レイザーラモンRGや次長課長の井上聡、過去に1,000円札で描かれた夏目漱石が同郷の有名人ですね。
 
 
身近なスポーツは、小学校に入学した当時にソフトボールとマラソンに出会いました。野球ではないというから驚き。3、4年生の時にはソフトボールチームのレギュラーとして活躍し、そのかたわらマラソンをも始めたのです。


 
 
この時の練習で、すればするだけ結果が付いてくるものと理解したようですよ。

岱明たいめい中学校に進学した際は、友達に誘われて野球部に入部。ただ先輩や監督、コーチの厳しさに嫌気がさし、時には練習をさぼっていたようです。

野球の大会終了後は卒業まで陸上に挑戦。母校の新記録として、走幅跳で6メートル34センチ、ボール投げで78メートル22センチの記録が、現在も破られずに残っています。やはり伝説の男なのでしょうね。
 
 
その後、高校は熊本工業高校に入学。2年時の春・夏、3年時の夏の計3回甲子園に出場し、プロのスカウトを印象付けました。実際に高校には、西武ライオンズを除く11球団が挨拶に訪れたのです。

しかし1989年プロ野球ドラフト会議では、広島東洋カープが4位で指名だけ。理由として、このように言われていました。
 

4位まで指名されなかった理由として、宮川は「ドラフト会議の前、カープを含む各球団に文書が出回った。後輩が他校の生徒に殴られたと知った前田が、単身その学校に乗り込んで仕返しをしたという内容だった。」と伝えている。

引用:Wikipedia

 
これも運命だったのでしょうね。説得されたのち、そのまま入団になったのです。
 
 
現役時の身長は176センチ、体重は80キロ。大柄ではない体格からホームランをも打っていたのが凄いですね。
 

前田智徳の功績とは?

 
前田智徳は広島東洋カープ一筋24年を、すべて野球に捧げました。残念ながらタイトルは取れていませんが、通算で2,119本のヒットを積み重ね、名球会入りも果たしているのです。

さらに表彰は、ベストナイン・ゴールデングラブ賞・月間MVP・優秀JCB・MEP賞・JA全農Go・Go賞・「ジョージア魂」賞・カムバック賞・オールスターゲームMVP・オールスターゲーム優秀選手賞・セントラルリーグスター大賞・セントラルリーグ特別功労賞・広島県民栄誉賞・玉名市民栄誉賞を、受賞。

引退後も広島県を中心に、野球に関わることで貢献しています。十分に功績を残していますよ。
 
 
残念だったのは、1995年の5月23日に行われたヤクルトスワローズ戦の第1打席に、一塁へ走塁する際に右アキレス腱を断裂してしまいました。


 
 
以降の試合で、この怪我の支障が大きく出ることになってしまったのです。それでも翌年の1996年には復帰し、3割を超えるハイアベレージを残しました。素晴らしい精神力の持ち主ではないでしょうか。
 

前田智徳が野球で成功できた理由とは?

 
前田智徳は24年間のプロ野球人生を、広島東洋カープで過ごしました。引退後は、広島球団とアドバイザー契約。中国新聞の野球評論家やテレビ朝日・広島ホームテレビの野球解説者と、すべて野球にかかわっているのです。

ここまでくれば、野球で成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?

やはり、「狙ったら、誰でもある程度は打てますよ。狙わんでも打つところに価値がある。」の名言が、大きくかかわっているのです。
 
 
というのも前田智徳の現役時代は練習の虫と言われ、とにかく猛特訓を積み重ねていました。傾向は、プロ入り前からあったようです。エピソードがこちら。
 

前田自身が目指すレベルが異常なまでに高く、その一例として高校時代、全体練習後には夜な夜な黙々とティー打撃を続け、思うような打球が飛ばないとスパイクで土を蹴り上げたりバットを叩き付けて怒り出したり、時には頭を抱え込んで悩んだり、といった事を繰り返していた。

引用:Wikipedia

 
黙々と練習を続ける精神力が、名バッターを生み出したのですね。
 
 
プロに入ってからも練習に対する気持ちは変わらず、達川光男氏がこのように語っていました。
 

「まだ入団間もない頃かな。前田が巨人戦のあとの食事に遅れてきたことがあったんですよ。終わりかけの頃に来たので、僕は“何をしていたんだ”と叱ったんです。そうしたら前田は、“すみません。バットを振っていたものですから”。その日アイツは4打数3安打でしたが、チャンスに凡打したのが悔しくて、部屋でバットを振っていたらしい。僕はその日ノーヒットでね。素直に頭を下げました。人は前田を天才と呼ぶけど、僕は“努力の天才”だと思いますね」

引用:週刊ポスト

 
このように、見えない所での努力は欠かさなかったのです。
 
 
ここまで練習にこだわる理由として、スポーツジャーナリストの二宮清純氏が問いかけていました。
 

1992年の二宮のインタビューでは「打席に立つ目的は?」と聞かれて、しばらく考え込んだ後、「理想の打球を打ってみたい、ということかなぁ」と答えた。また、二宮の同インタビュー内で「どんな打球が理想かと問われても、まだよう分からんですけど。イメージとしては頭にあるんです。それを言葉にできれば苦労しないんでしょうけどね。とにかく、(理想の打球への夢は)簡単に諦めたくない。そのこだわりがなくなったら、僕はおしまいでしょう」、「自分を追い詰めるのは恐怖から。今日打てても明日打てると言う保証はない。毎日が怖くてたまらない」、「内容のいいヒット、自分で納得出来るヒットを一本でも多く打ちたい。それしか考えていません」と発言するなど自らの持論を述べた。

引用:Wikipedia

 
野球に対してのひたむきさが、素晴らしいです。
 
 
以上のことから前田智徳は、打撃に対してこだわりを持って練習したこと。そして誰にでも礼儀正しい謙虚な性格だったのが、野球で成功できた理由ではないでしょうか。
 
 
私は世間に名を残したいと思い、日々奮闘しています。中でも文章力を付けたいと、お手本の本を書き写す写経は毎日続けていますよ。日本語を学ぶことは、どの場面でも役に立つことですからね。またどんな人に対してでも、謙虚で挨拶を心掛けていますよ。礼儀は基本ですからね。
 
 
私も前田智徳のように謙虚さを忘れず成功に向けて努力を積もうと、心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
前田智徳は他の偉大なバッターからも、一目置かれていました。落合博満はこのように言っていますよ。
 

落合博満は、1999年のインタビューで「今の日本球界に、俺は2人の天才打者がいると思っている。1人がオリックスのイチローで、もう1人が前田なんだ」と語り、「分かりやすくいえば、前田は『鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』の家康タイプ。『鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス』の秀吉タイプが、イチローだ。つまり前田は、いかにしてボールを自分のポイントまで呼び込んできて、自分の形で打つかという打撃のお手本。イチローは、そこへボールが来ないなら、自分が体を寄せていってそのポイントで打つという打撃なんだな」、「前田の打撃は、プロ野球50年の歴史の中で、ずっと理想とされてきたフォームといえる。みんながお手本にしていい、生きた教材」と高く評価し、打撃指導の時は「広島の前田を参考にしろ」「真似して良いのは前田だけ」と言う事が多かった。

引用:Wikipedia

 
そのイチローさえも、このように言っています。
 

イチローからは、「僕のことを天才だという人がいますが、本当の天才は前田さんですよ」と評されていた。

引用:Wikipedia

 
凄い人なんでしょうね。偉人達からもリスペクトされる。改めて前田智徳の偉大さを、感じました。
 
 
 

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