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宮本慎也の名言!「僕は野球を楽しむなんてできない。」に隠れた内容は?

元プロ野球選手
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宮本慎也みやもとしんやは、ヤクルトスワローズの名手!日本プロ野球選手会会長にもなった人物です。
 
 
宮本慎也の名言には、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

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宮本慎也の名言の意味とは?

 
宮本慎也は、アテネオリンピック野球日本代表・北京オリンピック野球日本代表でキャプテンを務め、チームを引っ張っていました。リーダー的存在の人物です。
 
 
名言がこちらになります。
 

僕は野球を楽しむなんてできない。

 
この内容は、引退会見でプロ野球人生を振り返り、出た言葉です。「楽しんで野球をやりたい!」という選手が多い中、素晴らしい考えの持ち主ですね。
 
 
意味がこちらになります。
 

大好きな野球を続けてきたけど、プロ野球の球団に入ることで仕事になった。お金をもらっている以上、好成績を残すために生半可な気持ちで出来ないのだ。

 
プロ野球は、年俸が高いので有名です。しかも、人に見せるエンターテインメント。その中でプレーするプロ野球選手は、エンターテイナーです


 
 
そんな人たちが楽しんで野球をやっていては、チームも締まりません。ましてや球団同士で争いをしているのに、いい加減な気持ちでプレーすれば、好成績も残せませんからね。

このように宮本慎也は、野球人としての規律を重んじる人。名言からは、真面目さが伝わってきますね。
 

宮本慎也はどんな人?

 
宮本慎也は1970年11月5日生まれで、大阪府吹田市出身です。ナインティナインの矢部浩之や、麒麟の田村裕、ジャルジャルの後藤淳平が同郷の有名人ですね。
 
 
野球は小学3年の時に地元のスポーツ少年団に入り、始めたのです。中学ではシニアリーグのチームに入部しました。3年時の大会では二塁手として出場し、決勝まで進出して敗退。その姿を見たPL学園関係者の勧めで、同校に進学を決意したのです。


 
 
だけど全国から集まる強豪校で、レギュラーの座を取るのは至難の業。体格の小さかった宮本慎也は守備力を極めて、遊撃手のレギュラーを取ろうと考えたのです。

日々コツコツと練習をこなした結果、1987年の甲子園春夏連覇を達成した際に、チームで唯一の2年生として出場しました。しかし3年時は甲子園に出場できず、同志社大学に進学したのです。

ちなみに関西学生リーグでは、1990年春季のリーグ戦で首位打者を獲得。4年になるとプロ球団からドラフトの挨拶を受けましたが、どれも4位か5位ばかりの指名でした。

そこで当時の監督から社会人野球の名門である、プリンスホテルに行くことを勧められて入社。その後に活躍し、1994年のドラフト会議でヤクルトスワローズの逆指名をし、2位指名されて入団にこぎつけたのです。
 
 
現役時代の身長が176センチ・体重が82キロ。確かにプロ野球選手としては、小柄なタイプになりますね。
 

宮本慎也の功績とは?

 
宮本慎也はプロ野球人生19年間を、ヤクルト一筋で過ごしました。

その間の表彰は、ベストナイン・ゴールデングラブ賞・アテネオリンピック予選アジア選手権MVP・月間MVP・ゴールデンスピリット賞・セントラルリーグ特別功労賞・ベストファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」など受賞しています。

このようにヤクルトスワローズには欠かせない、いぶし銀の選手でした。

また2006年春にWBC日本代表メンバーとして、紫綬褒章しじゅほうしょうも頂いていますよ。さらに2,133本のヒットを積み重ね、名球会入りも成し遂げているのです。


 
 
ちなみに送りバントが得意で、通算408犠打を達成しています。名球会入りした2,000本以上打つバッターで、400犠打以上を達成したのは宮本慎也だけというから驚き。ここまででも、十分功績を残しています。
 
 
かつ冒頭でお伝えしたように、アテネオリンピック野球日本代表・北京オリンピック野球日本代表のときは、キャプテンを務めあげました。しかも日本プロ野球選手会会長として選手の上に立って、意見を述べる大役をこなしたのです。

引退後は、野球評論家や、NHKの野球解説者、日本野球機構の調査委員へ就任も承認されました。2018年からは、ヤクルトスワローズの一軍ヘッドコーチを任されています。このように宮本慎也が残した功績は、非常に大きいのです。
 

宮本慎也が野球で成功した理由とは?

 
宮本慎也はヤクルト一筋19年を、チームやプロ野球界に貢献してきました。様々な成績を残しただけでなく役職として選手の上にも立ち、リーダー的存在で居続けたのです。ここまでくれば、野球で成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?やはり、「僕は野球を楽しむなんてできない。」の名言が、大きくかかわっているのです。
 
 
というのも、宮本慎也は野球に取り組む姿勢を、第一に大事にしていました。チームを見て、このように言っていますよ。
 

「巨人を見ていると、やっぱりそういう規律を感じるんです。ヒゲはいけないとか、金髪はダメだとか……。傍から見たら小さなことかもしれないけど、野球に全力を注ぎ込むために、全員が守らなければならない決まりが巨人にはある。今のヤクルトはそういうのが薄れてしまって、てんでバラバラなんです。だからちょっと巨人が羨ましい」

 ヤクルトが強かった野村克也監督時代には、茶髪、ヒゲはもちろん禁止。その他にもドレスコードや暗黙の決まりがいくつもあった。それらはすべて、野球に集中し、勝つためのものだった。規律を破って少しでもチャラチャラした服装をしているのを見つかると、監督からの厳しい叱責も飛んだ。

引用:Number Web

 
確かに規律があれば、選手も引き締まります。高校野球がいいお手本。丸坊主・短髪で礼儀が正しいと、素晴らしいです。観客となる私たちはキビキビしているのを見ると、気分が良くなりますからね。
 
  
宮本慎也に大きな影響を与えたのは、やはり監督の野村克也だったようですよ。このように言っています。
 

もともと宮本はずば抜けた素質や体格に恵まれた選手ではない。そんな宮本にとって入団当初に受けた野村克也監督の数々の薫陶はその後の野球人生を大きく変えた。なかでも宮本が大事にしているのが「二流の超一流を目指せ」という言葉だ。野球はホームランバッターやエースだけでは成り立たない。脇役であっても、野球理論を極め、努力を積み重ねれば、チームに欠くことの出来ない選手になることができる。この言葉に「自分が生きる道はこれだ」と確信したという宮本。隙(すき)のない野球が出来る選手をめざし精進を重ね、やがて球界を代表する選手となっていった。

引用:NHK

薫陶くんとうとは≫
指導者の態度や徳の高さを見せ、自然と周りの人が成長していくこと。

 
過去に野村克也について書いた記事があるので、お時間がある際にお読みいただけるとありがたいです。

野村克也の名言!「うまくいってる時は・・・。」に隠れた内容とは?
野村克也のむらかつやと言えば、有名なご意見番です。さまざまなプロ野球選手やプレーその他の場面場面ををぶった切り、正しく解説してくれます。個人的には、日本代表の監督になってもらいたいのですがね。 そんな野村克也の名言に、どん...

 
 
さらにコーチになってからは若手選手の育成に対し、このように言っています。
 

「僕はダメなものはダメと叱ります。いまの子だからというのは気にしない。ほめて伸ばすとよく言いますが、ほめられて伸びた人は挫折したときにはだいたい上がってこられない。たくましさがないんです。

ミスをしたら、フォローするんじゃなくて『ダメ』とはっきり言う。よかったらよかったで『いまのよかったよ』『続けような』と伝える。それに僕は計算してなにかを言ったりはしません。

引用:現代ビジネス

 
確かにお金をもらって野球をするプロ野球選手は、球団の支配下に置かれています。選手を育成するコーチはたとえ嫌われようとも厳しく発言し、成績を上げる努力をしなければいけませんからね。
 
 
以上のことから宮本慎也は、野球人としての品格を高めたこと。そして上手くなるために妥協をせず練習したことが、野球で成功した理由ではないでしょうか?
 
 
私は世間に名を残したいと思い、何事も規律を守って真面目に生きています。多方面で役に立てたいと、文章力のアップも考えているのです。そのためお手本の本を写す写経を、毎日欠かさず実践していますよ。

成果が出て役職を任されたり、書類づくりやメールのやり取りもお願いされることが増えました。日頃から人のために役に立てればと考えているのが、良かったのかもしれませんね。私も宮本慎也のように成功できるよう精進して自分を切磋琢磨しようと、心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
宮本慎也はテレビ番組で、「プロフェッショナルとは?」との答えとして、父親からもらった言葉を紹介していました。
 

「努力するのはプロとして当たり前、それ以上するのが本当のプロ。みんなやっていないことをするのがプロフェッショナルだというふうに思っています。」

引用:NHK

 
やはり練習量を増やし、常に頭を使って実践することが重要なのでしょうね。極めることは、本当に奥が深いです。。。
 
 
 

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