大家友和は、メジャーで活躍したピッチャーです!10年もの長い間、アメリカで奮闘しましたよ。異国の地で活躍出来るのは、本当に素晴らしいことです。
大家友和の名言には、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。
大家友和の名言の意味とは?
大家友和は、派手さのない地味なピッチャー。それなのに、長らくメジャーで活躍しました。
そんな有名人の名言がこちらです。
この内容は、メジャーで活躍中にインタビューされて出た言葉です。
意味がこちらになります。
今回の名言はサラリーマンとして生きる人たちにとっては、憧れのような内容かもしれません。なぜなら多くの雇用されている人は、やりたいことで生きることができていないと感じるからです。
よく昔から言われているのは、会社からもらえるお給料はガマン料だ!という考えかたがあります。
しかしこれからの時代は本当に興味があることや好きなこと、自分が感じて職を選ぶ時代です。好きな野球を仕事としてできる大家友和にとって、使命と感じているはずですよ。この名言には、以上のような内容が隠れていたのです。
大家友和とはどんな人?
大家友和は1976年の3月18日、男ばかりの3人兄弟の次男に生まれで京都府京都市右京区の出身。区内には、嵐山がある場所ですね。
野球を始めたのは小学校3年生で、キッカケが漫画の「ドカベン」。離婚した母親思いで、家族を楽な生活にさせたいとプロ野球選手を夢見たのです。
その後、小学校・中学校と野球を続け、高校は創設間もない京都成章高校に進学。ピッチャーに専念し、最初は控え投手でしたが高校3年でエースになった努力家です。
残念ながら京都大会では惜しくも準優勝でしたが、プロのスカウトから注目されました。そして1994年にドラフトで横浜ベイスターズから3位指名され、入団することになったのです。
現役時の身長は185センチで体重は91キロ。ピッチャーとして、立派な体格ですね。
大家友和の功績とは?
大家友和は、横浜に4年⇒レッドソックスに2年半⇒エクスポズに半年⇒ナショナルズに3年半⇒ブルーワーズに1年半⇒ブルージェイズに1年⇒インディアンスに1年⇒横浜に復帰して2年。合計で16年を、野球に捧げました。
タイトルや表彰はありませんが、村上雅則・野茂英雄・マック鈴木・長谷川滋利・柏田貴史・伊良部秀輝・吉井理人・木田優夫についで、9人目のメジャーリーガになったのです。これだけでも、十分功績を残せています。
さらに苦難の道を経て、メジャーリーグ1,000イニングを達成しています。
現役の2001年には「NPO法人 Field of Dreams」を立ち上げ、毎年の夏に子供達をアメリカに招待して直接触れ合いを通じ、夢に向けての努力の大切さを伝えていました。素晴らしいことですね。
引退後は野球指導者として活躍。そして2018年からは、横浜DeNAベイスターズで二軍投手コーチを務めています。 すごい功績だと思いますよ。
大家友和がメジャーで成功できた理由とは?
大家友和はメジャーリーグで10年の長い期間、野球に捧げました。アメリカに渡るまでの日本のプロ野球の4年はたった1勝しかできなかったのに、まさに開花した感じです。メジャーで成功できたと言っても、過言ではありません。
では、なぜ成功できたのか?
やはり、「生涯、野球というスポーツから離れることはないと思う。」の名言が、大きくかかわっているのです。
大家友和はそれだけ野球が楽しくて楽しくてたまらなく、好きな野球に人生をかけていたことが伺えます。実際にこのように言っていますよ。
メジャーやマイナーを転々としてきたが、メジャーでの成功・失敗について「よく成功とか失敗とか言われるが、じゃあ何が成功で、何が失敗なのか。僕はアメリカに来て野球が楽しいと思えるだけで、成功だと思うんです。僕らは見せてナンボの世界にいますから、成績を残せなければ失敗と言われるのも仕方がないと思うが、やりたいことをやるのが一番だと思います。先発でもリリーフでも、マイナーでもメジャーでも、野球をやれるだけで僕は十分、幸せなんです」と語っている。
引用:Wikipedia
さらに詳しく成功した理由となるのが、以下のようですよ。
日本でわずか1勝しか挙げられなかった投手がマイナーから這い上がり、メジャーで51勝を挙げるまでになった。この数字は、メジャーのマウンドを経験した日本人43投手のなかで7番目に多い勝利数である。どんなときも自分の可能性を信じ、愚直に挑戦し続けてきたからこそ、成し遂げることができたのだ。
引用:web Sportiva
そもそも大家友和は、なぜメジャーで野球をしたいと思ったのでしょう?ちゃんとした理由がありました。
選手のパフォーマンスを上げることを最優先にしている点です。例えば、ある投手が打ち込まれた時。日本では特に若い投手が打ち込まれた場合、「教育的指導」の名のもとに続投させることがあります。報道でも「愛のムチ」などと表現して監督を讃えることさえありますが、とんでもない。選手にとってはさらし者にされるだけです。ところが、アメリカでは打ち込まれる前に交代させて傷口を広げないようにするんです。選手が自信を失うようなことをするのは、選手はもちろんチームにとっても百害あって一利なしという考えです。こんな環境で野球をしてみたいと強く思い、渡米の意思を固めました。
引用:リクナビNEXTジャーナル
野球に対して純粋に心から愛していてたのが、功を奏したのでしょうね。
このように見ると大家友和がメジャーで成功し理由は、野球を純粋に愛したこと。そして何事に関しても挑戦し続けたことが、成功できた理由ではないでしょうか。
私は世間に名を残したいと思い、日々頑張っています。文章を書くことが好きなのでさらに極めたいと思い、写経を行っていますよ。
お手本の本を書き写すこと。
成果も出ているのかプライベートでの役職で、書類作成やメールの対応など任されます。期待されるのが嬉しいことですからね。
これからも大家友和のように何にでも挑戦し続け、成功に近づこうと心に誓いました。
まとめ
大家友和は常に感謝の気持ちを忘れずにして欲しいと、中学生に伝えていますよ。
特にシニアの選手にはチームの中でも厳しく接することはあります。例えば、バットを投げた選手にこうはっきり言ったこともあります。「君はバットを投げながら走っていった。それが一体どういうことなのか」と。そのバットを誰から与えてもらったのか。悔しさ余ってバットを投げただけじゃない。それはバットが悪いのか? ならば、打てるまで練習しなさい。バットはお父さんやお母さんから与えてもらったもの。感謝の気持ちを持ちなさいと言いました。
引用:産経ニュースWEB
感謝の気持ちを大切にすることが、結果として人間の成長にも繋がるのでしょうね。素晴らしい考えの持ち主です。
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