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岡田彰布の名言!「俺が責任持つから。」に隠された内容とは?

元プロ野球選手

 
 
岡田彰布おかだあきのぶは、阪神タイガースを支えた右バッター!1985年の日本一に貢献しましたよ。
 
 
岡田彰布の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 


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岡田彰布の名言の意味とは?

 
岡田彰布は、阪神タイガースの黄金期を支えたプレーヤー。巨人戦でバース・掛布に続いて、バックスクリーンへ3連発目のホームランを打ち込みました。未だ伝説として、語り継がれています。


 
 
そんな有名人の名言がこちらです。
 

俺が責任持つから。

 
この内容は2005年阪神タイガース監督時に、中日戦で登板のクローザー・久保田智之にかけた言葉。
 
 
意味がこちらになります。
 

たとえ打たれたとしても君には責任がない。だから自分を信じて投げて欲しい!

 
ここで発破をかけられた久保田智之は後続を連続三振で抑えて、中日との2ゲーム差の首位決戦を制したのです。選手は、「監督に信頼されている!」と考えれば、奮起しますからね。

指揮官が責任を取り、プレーする側をかばうことは重要なんです。この親心的な存在が、チームでも慕われた存在なのでしょうね。
 

岡田彰布とはどんな人?

 
岡田彰布は1957年11月25日に生まれ、大阪府大阪市中央区で育ちました。父が町工場を経営していたため、阪神タイガースの後援者として選手との交流が日ごろからあったのです。

幼少期には当時の三塁手だった三宅秀史とキャッチボールをし、憧れを抱いたようですよ。のちに岡田彰布が背番号16を希望したのは、かつての三宅秀史の背番号だったからです。
 
 
小学校5年生の時には阪神タイガースが少年野球チームを持っていなかったため、南海ホークスが運営していた少年野球チーム「リトルホークス」で本格的に野球を始めました。


 
 
中学は明星中学校に行き、1972年の3年生の時に中学野球大阪府大会で優勝。高校は北陽高校に進学し1年生ながら左翼手として活躍、同年の夏に甲子園出場を決めたのです。3年生時はエースで四番打者として府予選決勝に進みますが、興國高に負けて甲子園出場は果たせませんでした。

その後早稲田大学野球部のセレクションを受け、驚異的な打撃を見せて合格。大学時代には東京六大学野球史に残る記録を次々と樹立したため、1979年秋のドラフト会議の目玉となったのです。

抽選の結果、阪神が交渉権を獲得し、阪神タイガースに入団が決まりました
 
 
現役時代の身長は175センチ・体重は77キロ。細マッチョ的な体系ですね。
 

岡田彰布の功績とは?

 
岡田彰布は、現役時代に阪神タイガースとオリックス・ブルーウェーブで活躍しました。その間に獲得した表彰は、新人王・ベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞・月間MVP・オールスターゲームMVP・セ・リーグ最優秀監督賞・ベスト・プラウド・ファーザー賞 in 関西など、多くを受賞したのです。

通算で1,520本のヒットを打ちましたが、残念ながら名球会入りを果たせませんでした。それでも、プロ野球界に残した功績は大きいですね。

さらに現役引退後はオリックスの二軍助監督兼打撃コーチに就任したり、阪神タイガースの監督を経てオリックス・バファローズの監督も務めました。
 
 
現在のクライマックスシリーズについて、物申していますよ。
 

クライマックスシリーズについては、「そこで敗れ、日本シリーズ出場ができないと、144試合もの長いシーズンを戦った努力と、過程と評価の価値を否定されることになる」として否定的である。また、数球団を渡り歩く外国人選手が、年俸を高騰させて球団経営を圧迫したり若手日本人選手の働き場所を奪っているとして、外国人出場選手枠の減少(場合によってはゼロ)を、プロ野球改革の試案として示している。

引用:Wikipedia

 
当たり前に行うのではなく、こんな風にチクリと言う意見も必要です。だから、周りから頑固者と言われていました。

なんてったって岡田彰布の座右の銘は、「道一筋」。周囲の不理解や反対があっても、自分の信じている道を突き進む男です。そんな人柄があったからこそ、プロ野球に残した功績は大きいのでしょうね。
 

岡田彰布が野球で成功した理由とは?

 
岡田彰布は阪神タイガースで14年・オリックスで2年の合計で16年を、選手として全うしました。引退後は、二軍助監督や打撃コーチを7年。さらに一軍監督を8年し、Aクラス4回・Bクラス4回という成績を残しました。

現在は野球解説者や野球評論家と、野球で成功したと言っても過言ではありません。では、なぜ成功できたのか?

やはり、「俺が責任持つから。」の名言が、大きくかかわってくるのです。

kini
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ここからは一軍監督時のエピソードを交えながら、解説していきますね。

 
 
過去に阪神タイガースの4番だった金本知憲は、球団OBの三宅秀史が保持する700試合を越す2試合前に、左手首にデッドボールを受けて剥離骨折したことがあります。

しかし骨折後の試合で岡田彰布はあまりにも普通に「出るんやろ?」と話したため、金本知憲は思わず「行けます!」と答えたのです。


 
 
その際に、監督として選手を思う真意があったようですよ。こちらになります。
 

金本は大記録の達成を間近に控えていた。29日の試合を終えた時点で連続フルイニング出場が698試合。日本記録は球団OBの三宅秀史が保持する700試合。しかし、岡田は決して記録を気にしていたわけではないという。「休まへんのが4番。それだけよ」。この年から監督を務めるにあたり、最初に決めたことは前年は3番だった金本を4番で使うことだった。背番号6はチームの勝敗の責任を担える選手と信じたからだ。

引用:産経デジタル

 
やはり指揮官としては自分自身が責任取ることを前提に、選手を信用することが大事なのでしょうね。このときの金本知憲は骨折しながらも、2本のヒットを打っているから驚き。完全なる伝説を作ったのです。

苦しい過去があるからこそ現在では監督と選手の枠を超えて親交が深く、笑い話にさえなっているようですからね。
 
 
また岡田彰布はその状況に応じて、選手に対する対応を変えていました。
 

選手それぞれの個性に合わせて、言葉の選び方や接し方を変えなアカン。反骨心を利用したほうがいいやつもおるし、逆もまたしかり。指導者の側も人間的な引き出しを増やさないといけないというのはあるわな。

 しかし、選手の気質が変わってきたというのもあるだろうけど、チームというのはそれだけで強くなるわけではないよ。口やかましく言わんでも選手が動いてくれる、強いチームになるためには、監督、コーチ、フロント……全員がひとつの方向に向いて動いていかないと。そういった環境をつくるのも監督の仕事ではあるんやけど……。

引用:Number Web

 
要は、現場とフロントが一丸にならないと、チームが強くならないのです。なかなか難しいですね。
 
 
さらに基本的には、このように考えているようですよ。
 

監督としては堅実を重視するスタンスである。岡田は著書で「こと野球に関してはマイナスから考えるのだ。常に最悪の事態を想定してゲームを進める。これが自分の監督論といえる」と記している。

引用:Wikipedia

 
最悪を想定しながら行動する。確かに前もって考えることで、慌てませんからね。
 
 
このように岡田彰布は、人間として責任感ある行動をとったこと。そして常に状況を考え、最悪のシナリオを頭に入れて動いたことが野球で成功できた理由ではないでしょうか?
 
 
私は世間に名を残したいと思い、責任感を持って毎日奮闘しています。中でも文書のスペシャリストになるため、書く練習を怠っていません。お手本の本を書き写す写経が、文章力をあげてると体感しています。またどのような場面でも最悪な状況を想定し、動くようにしていますよ。
 
 
私は岡田彰布のように周りから信頼を得て、日々考えて成長していこうと心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
岡田彰布は口癖が多く、中でも面白い内容があるのです。
 

口癖は「そらそうよ」。これに由来する「そらそーよ」という焼酎も発売され、「そら、そうよ」として自身の著書のタイトルにもなった。また、何を指しているのか分かりにくい「アレ」を多用する癖があり、阪神監督時代は、何に対して指摘されているのか分からなかった若手選手のために、 当時レギュラー選手の赤星憲広が「翻訳」していた事もあった。長男からは「主語を抜いていることが多い」、実母からは「あの子は言葉の真ん中を抜かして話すことが多い」という指摘がなされている。

引用:Wikipedia

 
口癖をもお金に変えてしまう、なんとも商売上手で驚いちゃいます。そんな岡田彰布が素敵です。
 
 
 


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