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斎藤隆の名言!「マウンドでワクワクする自分が…」に隠れた内容は?

元プロ野球選手
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斎藤隆さいとうたかしは、日本球界とメジャーリーグで活躍した投手!長い間プレーすることができました。
 
 
斎藤隆の名言には、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか。今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

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斎藤隆の名言の意味とは?

 
メジャーリーグでは、「サミー」の愛称で親しまれていた斎藤隆。


 
 
今回はそんなイケメンな元プロ野球選手の名言を紹介します。こちらです。
 

マウンドでワクワクする自分がまだいたことに、嬉しく思いましたね。

 
この内容は、横浜からドジャースに移った際のインタビューで出た言葉です。意味がこちらになります。
 

与えられた役割を任された自分自身に誇りを感じるのとともに、自信に変わったことが嬉しかったのです。

 
斎藤隆はメジャー昇格のチャンスで与えられた役割は、クローザーでした。ヒットが一本も許されない状況下なのに、このときワクワク感が出て厳しい場面を楽しんだのです

人はウキウキワクワクしている時、一番自然体にいるようですよ。逆にイヤイヤであれば、不自然と言うことになります。与えられた内容に対し、趣味であれ仕事であれ任されたことに自信をもたないといけません。

だってあなたが適任と考えられ、与えられたことですからね。そこでイヤイヤやっていると、上手くことが運びませんよ。
 
 
中々私たちの普段の生活で、絶体絶命の場面が無いかもしれません。それでも自分だけのワクワクを探してみると、意外にあるかもしれませんよ。斎藤隆の名言には、野球に対する心からの愛が隠れていたのです。
 

斎藤隆とはどんな人?

 
斎藤隆は1970年2月14日に野球一家の三男に生まれ、宮城県仙台市若林区の出身地。野球を始めたきっかけは、長男の練習の手伝いからでした。なんと小さいころからティーバッティングにつきあって、ボールをあげてたというから驚き。


 
 
小・中も野球を続け、兄二人に次いで強豪校の東北高校に進学しました。そして高3の夏、決勝で仙台育英を倒して甲子園出場を果たしたのです。

高校卒業後は、東北福祉大に進学。もともとファーストやその他の野手としてプレーしていましたが、2年時の練習中に遊びで投手の練習をしました。そのとき監督が注目し、そのまま本格的に投手に転向したキッカケになったのです。

その後日米大学に選ばれる程の選手に成長し、1991年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズと中日ドラゴンズから1位指名されました。結果、大洋に入団が決まったのです。
 
 
現役時の身長は188センチで、体重は90キロ。大柄でガッシリシタ体格ですね。
 

斎藤隆の功績とは?

 
斎藤隆は、大洋・横浜時代に14年⇒ドジャースに3年⇒レッドソックスに1年⇒ブレーブスに1年⇒ブルーワーズに1年⇒ダイヤモンドバックスに1年⇒楽天に3年と、チームを渡り歩きました。

この間に獲得したタイトルは最多奪三振:1回 (1996年)。表彰は、月間MVP:1回・カムバック賞:1回・日本シリーズ優秀選手賞:1回・優秀JCB・MEP賞:2回・JA全農GoGo賞:1回。

日米通算112勝(日91・米21)していますが、残念ながら名球会入りを果たせていません。だけど、ここまででも十分功績を残していますよ。


 
 
引退後はメジャーリーグのチームであるサンディエゴ・パドレスで、インターンとして編成業務に従事しています。さらに2017年からは、同球団のベースボールオペレーションアドバイザー兼パシフィックリムアドバイザーを任されているのです。

すごい職だと思いませんか?いまだアメリカでも活躍に驚きです。
 

斎藤隆が野球で成功した理由とは?

 
斎藤隆は日本球界で16年・メジャーリーグで7年の合計23年、野球人生に全うしました。ここまで長い間続けられたのは、成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?

やはり、「マウンドでワクワクする自分がまだいたことに、嬉しく思いましたね。」の名言が、大きくかかわっているのです。
 
 
というのも野球ができることの喜びから、甲子園での印象をこのように言っていますよ。
 

斎藤にとって、甲子園は刺激的な空間だった。87年夏は後の横浜でチームメートとなる野村弘樹(PL学園)、島田直也(常総学院)、1学年下の石井琢朗(足利工)、谷繁元信(江の川)、佐伯貴弘(尽誠学園)らがしのぎを削る大会だった。

 斎藤 甲子園でプレーしたことが、すごい刺激になりました。同級生や1学年下にこんなにスゴイやつがいるんだ、と衝撃を受けました。高校生が野球でワクワクドキドキすることってそんなにないんですよ、練習がきつくて。実際はその時は思わなかったけど、後になって野球をやってきて良かったなと思いました。

引用:日刊スポーツ

 
本当に野球が好きでたまらないのでしょうね。さらにチャレンジする気持ちを持つことが重要と、言っていますよ。
 

プロで15年間野球をやってきて、最近よく思うことは、プロ選手というのは自分だけじゃなく、多くの人々の夢を背負っている、だから自分は能力が続く限り、チャレンジしていく気持ちを持ち続けなければいけないんだな、ということです。例えば、小・中学校の頃に、僕がレギュラーに選ばれたり、ポジションを取ったために、補欠になったり、野球を断念した友達がいた。高校時代には、僕たちのチームが甲子園に行ったことによって、涙をのんだ他校の高校球児が何千何万といた。そうやって僕のレベルが上がれば上がるほど、多くの人が僕に夢を託してくれていたんだろうなと、漠然となんですが感じたりします。

僕は、自分では意識していなかったにもかかわらず、結果として野球人の憧れであるメジャーのユニフォームを着ることになりました。人には、自分自身でもわからない能力がきっと誰にでもあって、僕はそれを試すためにずっと野球をやってきて、そのうちにだんだん貪欲になって、そして周りのみんなに支えられながら、しかもタイミングが合って、こうしてアメリカでプレーできているのだと思います。

自分で自分の能力を決めるのではなく、その能力を見極めるために、チャレンジしていく気持ち。そのお陰で、僕はメジャーの舞台でプレーできている、そんな感覚でいるんですよ。

引用:Lighthouse(ライトハウス)

 
自分自身の野球人生を振り返り、挑戦することの大切さに気付いたことが素晴らしいです。やはりメジャーに挑戦したことが良かったようですよ。
 

「野球人・斎藤隆」が持つ「野球愛」。米国での7年間を経て大きく変化した。「何となく」の流れでプロになった斎藤だったが、30代半ばでようやく「本気の挑戦」に踏み切った。引退後の今は米大リーグの球団スタッフという立場から、日本の野球を俯瞰し、未来を見据えている。

「僕は、大リーグから挑戦することを学びました。後から深く自覚したことですが、頭で考えているだけでは駄目です。もし『やってみよう』と思えたとしたら、その裏には、自分の中に何か良いイメージがあるはずなんです。そのイメージをキャッチできれば、後は前に進むだけです。

不安はもちろんありますが、とにかく、やってみないとわかりません。その繰り返しが、僕のアメリカでの7年間でした」

引用:カンパネラ

 
純粋に野球を愛して挑戦し続けたことが、功を奏したのでしょうね。
 
 
このように斎藤隆は、野球することに対しての喜びをいつまでも持ち続けていたこと何事も挑戦しようと意欲的に考えたことが、成功できた理由ではないでしょうか。
 
 
私は世間に名を残したいと思い、いろいろ頑張っています。中でも文章を書くことが好きで実力を付けようと、お手本となる本を書き写す写経を毎日実践していますよ。

成果が出ているのか、メールの対応や書類づくりを任されるようになりました。ここで天狗にならずさらに謙虚に、実践していきたいと思います。斎藤隆のように成功に向けて何事も挑戦を続けていこうと、心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
斎藤隆がメジャーで成功した理由は詳しくいくとこのように言われていますよ。
 

メジャーで成功を収めることができた要因として、持ち球のひとつである右打者の外角へ鋭く逃げるスライダーが、メジャーリーグの外に広いストライクゾーンに適合していたことが挙げられる。加えて左打者へのバックドア(外のボールゾーンからストライクゾーンに入ってくるスライダー)も大きな武器になり、日本ではボールと判定されていたコースでストライクを取れるため、左右に関係なく優位に対戦を進めることができるようになり、2007年までドジャースの監督を務めたグレイディ・リトルは斎藤について「サミーをクローザーに持つということは、銀行に貯金がたくさんあることと同じ。あのスライダーがある限り、崩れることはない」と高く評価した。また、日本時代に比べて10km/h近く球速がアップし2007年には平均球速93.2mph(約150km/h)と最速99mph(約159km/h)を記録。更に40歳を越えてなお平均球速91.8mph(約147.8km/h)と最速95mph(約153km/h)を記録し、2010年には速球の被ウェルヒット率(アウトやヒットに関わらず相手打者に良い当たりを打たれた率)で両リーグ3位の.139、奪空振り率で両リーグ1位の33.5パーセントを記録。

引用:Wikipedia

 
ちゃんとした素質があるからこそ、ここまで活躍できたのでしょうね。凄い話です。
 
 
 

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