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新庄剛志の名言!「ライバルだとか考えてないよ…」に隠れた意味とは?

元プロ野球選手
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新庄剛志しんじょうつよしは、日本のプロ野球やメジャーリーガーとして活躍した選手!発言するごとに、新庄節とも言われましたよ。最近では、「現役に復帰する」と言っていますからね。
 
 
そんな新庄剛志の名言には、どんなものがあるのでしょう?隠れた意味はあるのでしょうか?今回はその辺を中心に見ていきたいと思います。

 

 

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新庄剛志の名言の意味とは?

 
新庄剛志は、色黒の肌に白い歯が印象的な人物。今回はそんな彼の名言を紹介します。その内容がこちらです。
 

ライバルだとか考えてないよ。一番のライバルは自分だよ。

 
これは選手時代に、インタビューされて出た言葉。新庄剛志らしいですね。
 
 
名言の意味がこちらです。
 

人間は、強くなったり弱くなったり日によって変わります。しかし結果を出すためには自分に厳しくし、常に妥協しないで前に進まなければいけないのです。

 
今の時代、私も含めて自分自身に甘い人が多いと思いませんか?しかしアスリートは妥協してしまえば、記録が出なくなってしまいます。だから新庄剛志は、挑戦し続けたのです。


 
 
その結果、夢を3つも叶えたから驚きですよ。
 
 
本人曰く、このように言っています。
 

「俺は今まで3回夢をかなえているのよ。小さいころの夢がプロ野球選手になる夢。プロ野球選手になってメジャーリーグに行きたいという夢。プロ野球で日本一になりたいという夢。3つ叶えたけど、今考えると夢がちっちぇなと思って」

引用:Smart FLASH

 
夢が小さいって、これまたビッグ発言。このように新庄剛志は奮い立たせるためにライバルを自分だと例えた結果、ものすごい成果を得ています。素晴らしい限りです。
 

新庄剛志とはどんな人?

 
新庄剛志は長崎県下県郡美津島町(現在は対馬市)の母親の実家で、1972年1月28日に長男として生まれました。体重が3,680グラムと大きめの赤ちゃんだったようです。

ちなみに父は、福岡県で造園業を営む自営業者。その後すくすくと育ち、運が良かったのか小学生時代に8回の交通事故にあっても軽症で済んでいます。
 
 
小学1年と小学2年の時は町内のサッカーチームに所属しますが、のちにソフトボールを経て野球にハマるのです。実を言うと父は、自身が果たせなかったプロ野球選手の夢を息子に託しました。

そのため指導も厳しかったようですが新庄剛志曰く、小学校から家業を手伝い石碑を持つ作業でパワーを付けたようです。結果的には肩の強さは幼い頃から身につけていて、大人より遠くまで石を投げられるくらいの凄さがありました。


 
 
また新庄剛志は負けず嫌いな性格です。小学生の時のエピソードで印象的なのが、ソフトボール町内対抗大会。

サヨナラ負けが決まる判定で、間違いをした審判員に泣きながら食ってかかったのです。なだめる監督にも「誤審だ」と訴え続けました。監督は、「こんなに負けず嫌いな子は見たことがない」と驚いたそうです。すごい負けん気が、新庄剛志を強くしたのでしょうね。
 
 
福岡市立長浜中学校時代には軟式野球部に所属し、当時の監督からも走る力と肩の力が桁外れだと認められていました。

高校は父親の勧めもあって、西日本短期大学附属高等学校に一般生として入学。晴れ舞台でもある甲子園での全国大会出場は硬式野球部員として専念するため寮生活を送りましたが、叶いませんでした。

それでも1989年のプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースから外野手として5位の指名を受けたのです。現役時代の身長は181センチ、体重は76キロ。細マッチョ的な体格ですね。
 

新庄剛志の功績とは

 
新庄剛志は日本のプロ野球では、ベストナイン3回・ゴールデングラブ賞10回・月間MVPも2回記録。その後アメリカのMLBのチームのメッツ、ジャイアンツなどで活躍しました。通算で1,524本のヒットを打っていますが、残念ながら名球会入りを果たせていません。

記録が凄くなくても有名になったのは、記憶の男の象徴だからでしょうね。


 
 
野球以外の功績もあり、1995年に起きた阪神・淡路大震災の時に球団選手会副会長として同僚と一緒に支援募金などを実施。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の時には、同僚と共に支援物資運搬などを行いました。新庄剛志は情に厚い男で、社会にも貢献しているのです。

プロ野球現役引退後はタレントとなり、現在はインドネシア・バリ島へ移住していますよ。
 

新庄剛志が成功した理由とは?

 
新庄剛志はプロ野球選手として、日本とメジャーリーグで活躍しました。まさに願いが叶ったと言っても、過言ではないでしょうね。ここで疑問になるのが、なぜ成功できたのか?
 
 
やはり名言でいわれているライバルだとか考えてないよ。一番のライバルは自分だよ、という言葉が大きかったのでしょうね。
 
 
新庄剛志は努力を人に見せるのが絶対に嫌なタイプで、隠れて人一倍頑張っていたのです。取材した記者が、このように語っています。
 

プロ入り当初、パワー不足の壁にぶつかった。そのため、他の選手たちが練習を終えた後も新庄さんは練習を続けた。しかし、練習している姿を見せたくないため、一度みんなが練習を終えるタイミングで自分も練習場を出て、その後、仲良くなった係員のおっちゃんから練習場のカギを借りて一人でベンチプレスの続きをしていたという。

引用:Business Journal

 
才能も必要だけど、努力を積み重ねることが大事とも言っています。結果を出した男だからこそ、言葉に説得力がありますね。
 
 
実際にそのトレーニングを目撃した日本ハム時代の同僚の岩本勉は、その現場でビビっていたようです。
 

MLB時代に足の筋肉を2本切って以降は、故障箇所をカバーする筋肉をつけるため、ジーンズの着用も止めてハードな筋力トレーニングを続けており、日本ハム時代の同僚の岩本勉は、新庄が鬼気迫る表情でバーベルを担いで片足屈伸を続ける姿を目撃した時には、圧倒されて声をかけられなかったという。

引用:Wikipedia

 
人をも寄せ付けない気迫さが、新庄剛志のストイックさを伺わせます。
 
 
さらに人は成功するために、ポジティブさも必要のようですよ。


 
 
というのも阪神が提示した12億円を蹴ってニューヨークメッツの2,200万円を選んだ時なんて、日本人にボロカス「無理」「日本の恥」と言われたのです。こんなに叩かれたら、普通は立ち直れませんよ。
 
 
でも新庄剛志は違いました。インタビューした記者は、このように聞かされて記載しています。
 

新庄さんは、それが「嬉しかった」と明かす。「自分が求めていたのはこれだ。もっと叩け」。そう思い、二軍の選手のように目をギラつかせていた。実際メジャーの選手たちのレベルは高く、新庄さんに求めるレベルも高かった。しかし、そこで心が折れることはなく、むしろその状況すべてを楽しんでいたという。「スターはこういう逆境を経験しなくちゃ」。この言葉はまさに新庄さんのポジティブさをあらわしている。

引用:Business Journal

 
いや~感心させられますね。

このように色々見てくると新庄剛志が成功した理由は、物怖じせずにポジティブ思考だったから。また努力を惜しまなく続けた成果が、成功した理由になるのではないでしょうか?
 
 
私はプロのライターになるため、毎日文章を書くように写経をしています。

≪写経とは≫
お手本となる本を書き写すこと。

 
さらに世に名を残せるようコミュニケーション能力を養う意味で、たくさんの人と交流するようにしているのです。今後も精進して努力を惜しまず、頑張ろうと思いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
新庄剛志はメジャーから日本ハムに入団したとき日本一を実現させるための道筋を思い描き、それに向かって突き進んだようです。やはり目標を決め、そこにたどり着くまでの方法を考えることが重要なのでしょうね。私もさらに具体的に、道筋の構想を練って進んでみます。
 
 
 

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