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田口壮の名言!「どうやったら自分がこの世界で…」に隠れた内容は?

元プロ野球選手

 
 
田口壮たぐちそうは、オリックス時代にイチローと一緒に日本シリーズを制覇しましたよ。メジャーでもワールドシリーズを、制覇した経験があるのです。
 
 
田口壮の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

田口壮の名言の意味とは?

 
田口壮はオリックスやメジャー球団を渡り歩き、何でもできた名選手です。こういうプレーヤーは、チームの監督に重宝がられますからね。


 
 
そんな有名人の名言がこちら。
 

どうやったら自分がこの世界で生き残れるかをいつも考えて、そのためにいろいろな策を練っていました。

 
この言葉はオリックスの二軍監督を任された際に、インタビューされて出た内容です。
 
 
意味がこちらになります。
 

プロの世界で続けるためには、他の選手と同じような才能だと使われない。だから優れているモノを極めるように磨かないといけないのだ。

 
田口壮がオリックスにいたとき、イチローという偉大な選手がいました。そこでバッティングの技術では到底勝てないと思い、「勝負強いバッターになる」「守備がうまくなる」という風に考えたようです。

するとイチローまでもが絶賛していた強肩を生かし、外野のレギュラーをつかみ取りました。俊足でおまけに最多補殺、ゴールデングラブ賞も獲得。首脳陣からは外野での守備が、イチローを上回っていると高評価だったのです。
 
 
これも名言にある、どのように自分自身を活かせるのか、日頃から策を練っていたことが功を奏したのでしょうね。田口壮の名言には、このようなことが隠れていたのです。
 

田口壮とはどんな人?

 
田口壮は1969年7月2日生まれで、父親が転勤族だったため生まれは福岡県・育ちが兵庫県の西宮市になります。野球は、3歳から始めたというから驚き。それもそのはず父親が社会人野球をやっていたのが、幼少期からボールを触るキッカケがあったからなのです。


 
 
小学校時代には当時住んでいた社宅のソフトボールチームに入り、色々な大会で優勝していました。

その後西宮市立平木中学校から兵庫県立西宮北高等学校に進学し野球を続けたのですが、甲子園に出場することはなかったのです。そのまま関西学院大学へ進学し、ココから頭角を現し始めます。

チームの公式戦においては101試合出場し、376打数・123安打・打率.327・10本塁打・46打点を記録し、首位打者1回・最優秀選手1回・ベストナインを4回受賞しました。

結果プロのスカウトから注目を浴び、1991年のドラフト会議でオリックスと日本ハムから1位指名を受け、抽選の結果オリックスが交渉権を得て入団合意に至ったのです。
 
 
現役時の身長は177センチ、体重は77キロ。プロ野球人として小柄ですが、足が速くて小技の効くプレーヤーでしたよ。
 

田口壮の功績とは?

 
田口壮は、オリックスに10年⇒カージナルスに6年⇒フィリーズに1年⇒カブスに1年⇒オリックスに2年と、チームを渡り歩きました。

その間に獲得したタイトルはありません。また通算で1,601本(日1,219/米382)のヒットを打ちましたが、残念ながら名球会入りを果たせていないのです。

ただ日本球界での表彰は、ベストナイン:1回・ゴールデングラブ賞:5回・月間MVP:1回・JA全農GoGo賞:1回・出身地別東西対抗戦優秀選手:1回。メジャーでは、ハート&ハッスル賞があります。

ここまででも十分功績を、残せていますよ。


 
 
さらに引退後は、野球解説者やラジオパーソナリティ。これまでの経験を買われて、2016年から2018年までオリックスの二軍監督、2019年から一軍野手総合兼打撃コーチを務めています。

今までの野球人生を糧にし、これから若手育成に貢献してもらいたいですね。
 

田口壮が野球で成功した理由とは?

 
田口壮はオリックスで12年・メジャーで8年を、野球に全うしました。さらには上記の章で記したように、オリックスの二軍監督・一軍野手総合兼打撃コーチを務めています。ここまでくれば、野球で成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ野球で成功できたのか?

やはり、「どうやったら自分がこの世界で生き残れるかをいつも考えて、そのためにいろいろな策を練っていました。」の名言が、大きくかかわっているのです。
 
 
というのも冒頭で記載したように、田口壮のそばにはイチローという存在がありました。このように言っていますよ。
 

「でも、彼と一緒にやったから、僕はたぶん現役を20年できたのかなと思うんです。圧倒的なパフォーマンスと、圧倒的な存在感を示されて……。そりゃ最初は勝てると思ってやっているし、勝たないといけないと思ってやっている。でも、毎年見せつけられていくわけですよ。そりゃ1年首位打者を獲ったり、200安打を打っただけならまだいいですけども、それが2年、3年と続いて……。

 それを見せられた時に、ちょっと待て、となる。僕自身、どうやって生きていくのかと考えるきっかけは、彼の圧倒的なパフォーマンスと存在感から生まれてきてるんです。

『勝てない』と打ちのめされて、でもそこから自分で、じゃあ勝負強いバッターになるにはとか、守備ももっとしっかりやらなきゃいけない、といったところに変わっていったわけですね」

引用:Number

 
実際に高いレベルの人が傍にいることにより、自分自身のポジションを模索できたのでしょうね。
 
 
さらにメジャーでは確実な役割を見つけ、出場機会を見出していました。
 

カージナルス移籍後もレギュラーの休みの穴を埋める「スーパー・サブ」「10人目のスターター」のユーティリティープレイヤーとして活躍し、ポストシーズンでトレバー・ホフマンやビリー・ワグナーから本塁打を放つなど、大一番での打撃も目立った。勝負強さが持ち味のクラッチヒッターでもあり、2005年には得点圏打率.407(OPS.936)を記録した。メジャー通算でも打率.279・OPS.717に対して、得点圏では打率.331・OPS.835という数字を残している。また、メジャー通算における満塁時の打率は.512(41打数21安打、出塁率.510・長打率.707・OPS1.217)である。

引用:Wikipedia

 
またこれまでの野球人生で経験したことが、オリックスでの2軍監督や1軍コーチに役立てられています。全ての選手の気持ちが分かれば、百人力ではないでしょうか。
 

オリックスの1995、96年のリーグ連覇に貢献。2002年にFAで大リーグのカージナルスに移籍。06年の世界一に貢献、08年は自身2度目の世界一に輝いた中心選手であるだけでなく、メジャー移籍後はマイナーからはい上がって、その地位をつかむ苦労人でもある。

 「エリートだけど、苦労を知っている。レギュラーだけではなく、控えの選手の気持ちを十分に心得ている。野球の解説なんかも聞いていても、具体的で分かりやすく、説明能力がとても高い。魅力的ですね」と球団関係者は話す。

引用:SANSPO.COM

 
やはり、長い野球経験がものを言いますね。
 
 
以上から考えると田口壮は、得意な分野を最大限に伸ばす努力をしたこと。さらに状況に応じての役割を考え、最高なパフォーマンスが活かせる状態にいたことが成功できた理由ではないのでしょうか。
 
 
私は世間に名を残したいと思い、日々奮闘しています。文章を書くのが好きなので力を付けようと、写経を毎日頑張っていますよ。

≪写経とは≫
お手本となる本を書き写すこと。

 
成果も出てきて、役職での書類作成やメールのやり取りも任されるようになりました。
 
 
私も田口壮のように、得意分野を極めて活躍したいです。またその場の状況を考えて行動し、成功に近づきたいと心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
田口壮は、人望も厚かったようですよ。
 

誠実かつ実直な性格でオリックス時代から人望が厚く、選手会長を務めていたこともある。シドニーオリンピックでは、イチローの出場を欲する代表チームに対し、「オリンピックはアマチュア選手の晴れ舞台」と出場を渋るイチローの心境を慮り、イチロー選出回避の嘆願を申し出て、自らが代役としてオリンピックに出場した。

引用:Wikipedia

 
このような気遣いができることで、多くの人を引き寄せる器となるのでしょうね。素晴らしい人物です。
 
 
 

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