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高津臣吾の名言!「負けて悔しかったり…」に隠された内容とは?

元プロ野球選手

 
 
高津臣吾たかつしんごは、ヤクルトスワローズの黄金期を支えた抑え投手!ひょうきんな一面も見せ、残した功績が凄い人なんですよ。
 
 
高津臣吾の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

高津臣吾の名言の意味とは?

 
高津臣吾はサイドスローから繰り出すシンカーで、打者を打ち取っていた有名なプロ野球選手。そんな人物の名言がこちらです。
 

負けて悔しかったり、練習が辛かったりするでしょうが、後々その全ての経験が自分を作っていく。

 
この内容は、独立リーグ・BCリーグの新潟アルビレックスBCどきに、新聞社から野球人生をインタビューされて出た言葉になります。意味がこちらです。
 

人生には成果が出なくて悔しいときがあると思います。しかしそのプロセスが経験となり、生きていく糧になっていくのです。

 
苦しい時期はどんな人にでもあります。


 
 
無い人にとってはラッキーでしょうが、現実的に不幸だと思いますね。なぜなら苦しく辛い経験があるからこそ、逆境にも負けない精神力に鍛え上げてくれるからです

それは野球選手でも、会社に勤めているサラリーマンでも一緒。職業を問わず、経験などから学ぶことが多いでしょう。
 
 
トライアンドエラーという言葉があります。

≪トライアンドエラーとは≫
試行錯誤すること。

 
過去に試行錯誤した経験が、今のあなたを作っているのです。もちろん楽しみながら学んだことも、人生の糧になっているのでしょうね。

でも人はどちらかと言うと、苦労して得た経験から学べる生き物です。きっと悔し涙は無駄じゃなかったと思える日が来るはず。高津臣吾の名言には、このような内容が隠れていたのです。
 

高津臣吾とはどんな人?

 
高津臣吾は1968年11月25日生まれで、広島県広島市南区段原中町出身です。広島風のお好み焼きが有名な場所ですね。


 
 
住んでいたマンションからは広島市民球場がよく見えたのもあり、親に連れられてよく広島戦を観たようです。そのためミスター赤ヘルと呼ばれた、山本浩二の大ファンでした。

野球は小学校3年生の時に、地元の軟式野球チーム段原レッドイーグルスで始めたのです。中学校は広島市立段原中学校に、高校は広島工業高校に進学しました。その後1986年に控え投手兼一塁手として、春夏連続で甲子園に出場して貢献したのです。

大学は亜細亜大学に進学し、ピッチャーとして全日本大学野球選手権大会で優勝。そこで活躍したのがスカウトの目に留まり、1990年度ドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名をうけて入団することになりました。
 
 
現役時の身長は183センチ・体重は81キロ。ピッチャーとしては、恵まれた体格だったのです。
 

高津臣吾の功績とは?

 
高津臣吾はプロ野球選手の投手として、ヤクルトスワローズ・シカゴホワイトソックス・ニューヨークメッツ・東京ヤクルトスワローズ・ウリヒーローズ (韓国)・興農ブルズ (台湾)・新潟アルビレックスBCと渡り歩きました。

その間にタイトルは、最優秀救援投手4回獲得。受けた表彰は、月間MVP・ファイアマン賞・日本シリーズ優秀選手賞などです。

また日本で286セーブ・メジャー27セーブの合計313セーブを挙げ、名球会入りをも成し遂げています。持ち球であるシンカーを上達させたことが、これだけの功績を得られた理由ではないでしょうか?


 
 
引退後は野球解説者を務め、本をも出版しています。多くのピッチャーが、シンカーの投げ方を教わりに来るそうです。それだけ素晴らしい決め球だったのでしょうね。
 
 
このように高津臣吾は日本球界で、大きな功績を残してきました。
 

高津臣吾が野球で成功できた理由とは?

 
高津臣吾は、ヤクルトスワローズで15年・メジャーで2年・韓国や台湾でプレーし、現在ヤクルトの二軍監督に就任しています。過去に野球解説者や野球評論家も経験し、ここまで実績があれば野球で成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?やはり、「負けて悔しかったり、練習が辛かったりするでしょうが、後々、その全ての経験が自分を作っていく」という名言が、大きくかかわっているのです。
 
 
高津臣吾はヤクルトスワローズに入団したのですが、特に目立った特徴のない投手でした。そこで伝家の宝刀と言われるシンカーを、長い年月の練習で習得させたのです。

キッカケを作った人物がプロゴルファーの丸山茂樹との対談で、語られていますよ。
 

高津:僕が入団した前年に西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)と日本シリーズを戦って負けたんです。相手ピッチャーに同じサイドスローの潮崎(哲也)選手がいて、彼のシンカーにきりきり舞いで日本一になれなかった。入団した当時の野村克也監督から「お前も投げられないか?」と言われたのがきっかけです。

丸山:野村さんだったんですね。

高津:そんな簡単に言うなよという感じだったんですけど(笑)。「全力で腕を振って球速100km/hの球を投げろ」と。ゴルフだと、ドライバーをフルスイングして200ヤードで止めろと言われているようなものですよ。

丸山:すごい……。

高津:難しすぎてそんな発想はなかったんですけど、ヒントを与えてくれてそこから取り組んだのがスタートでした。

引用:エキサイト ニュース

 
野村克也からアドバイスを受けたのは事実ですが、練習してシンカーを習得したのは高津臣吾自身ですからね。大変だったと思います。
 
 
野村克也について過去に書いた記事があるので、お時間がある際にお読みいただけるとありがたいです。

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また超えられそうもない人がいれば、いろいろ考えて練習を行うことで上手く行くことをも伝えていますよ。
 

同学年に、後に日本高校選抜に入る上田俊治というすごい投手がいました。彼は本格派。だから彼とは違う技巧派にならなきゃ生き残れない、と気付いたのです。まず2番手を目指そうというわけです。コントロールは悪くなかったので、監督から「打撃投手に」と指名がかかった。どうしたら気持ち良く打ってもらえるかを考えました。すると、その逆をやれば、打たれないということに気づいた。投球術を覚えたんです。3年になると、2番手の座をがっちりつかむことができました。

引用:朝日新聞デジタル

 
別にナンバーワンじゃなくてもいいんです。オンリーワンを目指すことが、重要になるのでしょうね。
 
 
さらに経験してきたからこそ言える言葉を、球児に伝えていますよ。
 

今でも当時の仲間と会うと、甲子園に出た「栄光」の話はほとんど出ません。つらかった練習のこと、怖かった監督にこっぴどく怒られたこと、うまいことサボった時のこと……。人間って楽しいことより、苦しかったことだけ覚えているような気がします。

そして、ともに苦しんだ当時の仲間と、いずれ楽しく酒が飲めるようになる、ということも。

引用:朝日新聞デジタル

 
いろいろな野球人生があったからこそ、ここまでのことが言えるのでしょうね。
 
 
このように高津臣吾は、一生懸命にオンリーワンを目指したこと。そして目標を定めて練習を続けたことが、野球で成功した理由ではないでしょうか?
 
 
私は世間に名を残したいと、日々奮闘しています。中でも文章力を付けたいと、毎日書くことを専念しているのです。そのためには、お手本の本を写す写経も実践していますよ。
 
 
まずは高津臣吾のように目標へ向けてオンリーワンを目指すよう、努力していきたいです。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
高津臣吾が松井秀喜に、プロ初ホームランを献上した試合をご存知ですか?実を言うとその打席で監督の野村克也は、「全球直球勝負しろ!」と指令を出していたようですよ。なんという逸話でしょう。

その後メディアは松井秀喜の初ホームランのほうがインパクトもあり、よく放映しています。しかし高津臣吾はその試合でチームのリードを守り切り、プロ初セーブを記録していたのです。いろいろあったものだと、驚きました。
 
 
 

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