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和田一浩の名言!「自己ベストより1本でも1厘でも…」に隠れた内容は?

元プロ野球選手
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和田一浩わだかずひろは独特のバッティングフォームで、ファンの期待に応えてくれた選手。勝負強いバッターでした。
 
 
和田一浩の名言は、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

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和田一浩の名言の意味とは?

 
和田一浩は個性あふれるフォームから、ヒットやホームランを量産しました。そのため、チームでも重要な役割を果たしていたのです。


 
 
そんな有名人の名言がこちら。
 

自己ベストより1本でも1厘でも1打点でも上にいきたい。

 
この内容は中日にいた2009年の春季キャンプでインタビューされ、出た言葉になります。意味がこちらです。
 

自分が打ち立てた最高の記録より、ちょっとでも成長に向けて切磋琢磨して上を目指したい。

 
誰でも記録を作ることに対し、努力をしています。プロの世界で生き残るのであれば、尚更の話です。

ただ他の選手と同じくらいの努力でありきたりな成績だと、レギュラーに残ることさえできません。自己最高と思う記録よりもさらに練習を積み重ねて、上を目指すことが大事です。これは仕事の場合でも言えること。現状に満足せず、スキルアップすることが大事なんです。
 
 
どんな状況でも生き残るためには、人以上に努力が必要ってこと。和田一浩の名言には、このような内容が隠れていたのです。
 

和田一浩はどんな人?

 
和田一浩は1972年6月19日生まれで、岐阜県岐阜市の出身。長良川の鵜飼が有名で、鮎が名産の地域ですよ。


 
 
野球は市立鷺山小学校の3年時に、スポーツ少年団に入って始めました。青山中学校にも入って続け、高校は県立岐阜商業高校に進学。2年時に控えキャッチャーとして、選抜と夏の甲子園に出場。3年時は、残念ながら叶いませんでした。

その後、東北福祉大学に進学し、4年時に主将を任されたのです。大学卒業後は、社会人野球の神戸製鋼に入社。ここでプロのスカウトから注目され、1996年のドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け、入団が決まったのです。
 
 
現役時の身長182センチ・体重90キロ。中日にいた時んじょ外野スタンドで掲げられている横断幕には、「輝く男」という文字が入っていたようですよ。なんと失礼な話でしょうか。^^;
 

和田一浩の功績とは?

 
和田一浩は、西武で11年⇒中日で8年を過ごしました。この時に獲得したタイトルは、首位打者:1回・最高出塁率:1回・最多安打:1回

表彰は、最優秀選手・ベストナイン・月間MVP・JA全農GoGo賞・「ジョージア魂」賞・オールスターゲーム優秀選手賞・クライマックスシリーズMVP・日本シリーズ敢闘選手賞・日本シリーズ優秀選手賞・埼玉県 彩の国スポーツ功労賞・所沢市特別顕彰・岐阜市民栄誉賞と多く受賞しています。

プロ通算で2,050本のヒットを打ち、名球会入りも果たしているのです。ここまででも、十分に功績を残していると思いますよ。


 
 
さらに引退後は野球解説者・野球評論家・タレントと、幅広い活躍をしているのです。今後は経験をもとにコーチなどをして若手育成に励んで、日本の野球に貢献してもらいたいですね。そんな器のある人物ですよ。
 

和田一浩が野球で成功した理由とは?

 
和田一浩は、プロ野球に19年を全うしました。このような長い期間で主力選手として居続けたことが、野球で成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?

やはり、「自己ベストより1本でも1厘でも1打点でも上にいきたい。」の名言が、大きくかかわってくるのです。
 
 
これは和田一浩の野球に対するひたむきさが、言わせている言葉なのでしょうね。実際に、このように言っていますよ。
 

挫折はたくさん味わいましたが、野球をやめようと思ったことは今まで一度もないんです。本当は高校からプロに進みたかったのにそれが叶わなかったり、自分のプレーしたいチームがある大学に行けなかったり、大学卒業後は今度こそプロにと思ったのにドラフトにかからなかったり。節目節目でうまくいかなくて……。だからといってやめようとは思わなかった。逆にいえば自分にやれることは野球しかなかったんですね。野球をしていないという人生が、僕のなかでは考えられないことでした。

「野球が好き」っていうのももちろんですが、野球しか取り柄が無いというか、野球以外何もできないんです、自信をもってできることが。思い込みですね、これしかないんだっていう。決して順風満帆な野球人生ではなかったとは思いますが、その思い込みがあったから、ここまで来れたような気がします。

引用:公文教育研究会

 
野球しかないと思ったことが、結果として良い方向に向かったのでしょうね。
 
 
プロに入っての不安からは、以下のような考えが生まれたようです。
 

僕、実は練習がすごく嫌いだったんです。常にサボれるものならサボりたいと思っていました。それが、少しずつ考え方が変わってきました。練習が楽しくなってきたんですね。以前はそんなこと思いもしなかったのに。最初は「練習が嫌い」で、次の段階は「練習をしないとやばいな」という気持ち、それから少しずつ我慢できるようになってきて、練習の苦しみが楽しみに変わってきたんです。今では、体がきつかったりすると、「あぁ練習してるな」と実感できるようになりました。

もしかしたら、年々引退が近くなって、野球ができるありがたさが身に沁みるようになったのかもしれません。そう気づくのが10年、20年早ければよかったのになと感じています。プロに入り、経験を積みながらやっと分かってきたんですね。「意味のある」時間の使い方がどれだけ大切かというのが。

引用:公文教育研究会

 
何としてでもやり遂げる秘訣は、このように言っています。
 

プロとしてのスタートはかなり遅いものになりましたが、高校で入ろうが大学で入ろうが社会人で入ろうが、プロに入ればみんな同じ。出身や経歴の区別はまったくありません。完全なる実力の世界。もちろん、同級生が先にプロの世界で活躍しているのを見ると、うらやましい気持ちはありました。けれど、それより悔しい気持ちのほうが強かったかな。負けず嫌いというよりは、ただ思ったことをやり通したいだけなんです。頑固っていうのでしょうか? 決めつけちゃう。ある目標を立てたら何としてでもそれをやり遂げたいし、自分に負けたくないんですね。自分との闘いという意味で。

引用:公文教育研究会

 
強く思う気持ちが重要なのでしょうね。
 
 
以上から考えると和田一浩は、野球しかないと考えたこと。ただひたすら高い目標に向かいやり遂げる努力をしたことが、成功できた理由ではないでしょうか?
 
 
私は世間に名を残したいと思い、毎日頑張っています。中でも文章力を付けたいと思い、お手本になる本を読んだり写経をして吸収していますよ。

≪写経とは≫
お手本の本を書き写すこと

 
成果が出てきているのか、役職を任されたり書類作成やメール対応も依頼されるようになりました。信頼されるというのはうれしいことです。私も和田一浩のように精進して成功に向け頑張ろうと、心に誓いました。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
和田一浩は研究熱心で、他のスポーツを参考にしているようですよ。
 

背筋の強さと右手の押し込みにより、ボールをかなり引きつけても詰まらずに強い打球を放つことができる。スイングの後は腰が落ちたような形になるので、ライト方向への長打を打ったのに三塁線へのファウルボールを打ったように見えることもあり、最後まで振り切るフォームであることとあまり足が速くない事から併殺打は多い。本人によるとこの打撃フォームは「テニスのフォアハンドを参考にしている」という。

引用:Wikipedia

 
どんなスポーツも応用を利かすことで、利用することができるのですね。関心しました。
 
 
 

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