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山本昌広の名言!「ひとつ勝つと、次も頑張ろうと…」に隠れた内容は?

元プロ野球選手
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山本昌広やまもとまさひろは、中日ドラゴンズで50歳まで頑張ったサウスポー!スキージャンプの葛西紀明とともに、完全なるレジェンドとして位置づけられていましたよ。素晴らしいことです。
 
 
そんな山本昌広の名言には、どのようなものがあるのでしょう?隠れた内容はあるのでしょうか?今回はその辺を、見ていきたいと思います。

 

 

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山本昌広の名言の意味とは?

 
山本昌広は219勝もあげた、名球会に入っている偉大な投手です。独特な投法で、90年代に左のエースとして、中日ドラゴンズ投手陣を支えていました。
 
 
有名人の名言には、どのようなものがあるのでしょう?その内容がこちらです。
 

ひとつ勝つと、次も頑張ろうという意欲が出てくる。

 
シンプルな名言です。この内容は、雑誌の取材で答えたものですね。
 
 
意味がこちらになります。
 

目の前の目的が達成すれば、さらに上へ目指そうとする気持ちが溢れてくる。

 
この名言は素朴ですけど、エッセンスが詰まっています。なぜかと言えば意味でも書きましたように、勝利を手にするために、まず目の前のことを熟していくしかないのです。


 
 
チームを支えるピッチャーになるには、基本的な筋トレや持久力アップなど積み上げるしか方法はあり得ません。それだけではだめなのでしょうが、まず日々の中での怠慢な気持ちから自分に勝つことが重要なのです

積み重ねていくことで知恵も加わり、相手チームのバッター対策もできるようになります。結果的に小さな経験が、自信をつけることになりますよ。
 
 
スポーツの世界では、メンタルの土台の上に技術や戦術のスキルが載っているのです。だからプレッシャーに弱いと、実力を100パーセント発揮することができなくなってしまいます。

そこで精神力を鍛えるためには、まず自分自身に勝つことが重要になるのです。すると必然的に、次も頑張ろうと思えようになります。結果的にポジティブなスパイラルが起き、成長していくことができるのです
 

山本昌広とはどんな人?

 
山本昌広は1965年8月11日に、東京都大田区で生まれました。出身は神奈川県茅ヶ崎市になります。生まれた時は体重が4,200グラムもあり、まさか野球選手になるとは思われていませんでした。

また1歳のころ自宅のアパートから転落し、生死をさまようこともあったようですね。しかし、1歳の頃から牛乳を飲んいた体が丈夫で見事に回復させてくれたと、どこでも豪語しているようですよ。実際に小学校入学前に脳波検査を受けた時には、「異常なし」とのことでした。


 
 
山本昌広の幼少期は現在のようにサッカーが主流ではなく、野球で遊ぶのが当たり前の環境で育ったのです。小学校時代は、目立った結果を残すことがありませんでした。

ただ中学になると3年の夏にエースで神奈川県大会に出場し、好投したのです。高評価を得て、日大藤沢高にスポーツ推薦で入学。しかし高校時は2年夏・3年夏の両方ともに神奈川大会準々決勝敗退で、目標でもある甲子園には届きませんでした。

結果的に大学に進学を考えたのですが神奈川県高校選抜チームの一員として選ばれ、韓国高校の選抜チームに対して好投したのです。それが評価されて1983年のドラフトで中日ドラゴンズから5位指名され、卒業後に入団しました。
 
 
現役時の身長は186センチ、体重は87キロ。ガッシリタイプのピッチャーですね。
 

山本昌広の功績とは?

 
山本昌広は、プロに入って中日ドラゴンズで32年間在籍。その間に獲得したタイトルは、最多勝3回・最優秀防御率1回・最多奪三振1回 。表彰は沢村賞・最優秀投手・月間MVP・ベストナイン・最優秀バッテリー賞と、数多く受賞したのです。

入団して3年は、なかなか結果を出すことができず苦しみました。しかし1990年代に入ってから長くに渡り、中日ドラゴンズの投手陣を引っ張っていったのです。貫禄のあるピッチングは、チームの支えにもなっていました。

そして山本昌広は2015年におしまれながら、50歳の時に引退を決意して現役を去ったのです。通算で219勝をあげ、名球会入りをも果たしています。ここまででも功績は十分残していますね。
 
 
さらに引退後は野球解説者や野球評論家として、活動しています。スポーツコメンテーターも、行っていますよ。また2017年12月には、学生野球資格回復研修会を受けて指導資格を修得。2018年には母校の日大藤沢高校野球部で、特別臨時コーチをしているのです。

今後に期待したいですね。
 

山本昌広が野球で成功した理由とは?

 
山本昌広は、中日ドラゴンズ一筋で律義な人物。50歳まで現役で続けられたことは、野球で成功したと言っても過言ではありません。


 
 
では、なぜ成功できたのか?やはり、「ひとつ勝つと、次も頑張ろうという意欲が出てくる」の名言が、大きくかかわってくるのです。
 
 
というのも山本昌広は試合に勝つために、まず毎日の基本をシッカリとしていました。インタビューされた際に若い選手たちに向け、このように言っていますよ。
 

野球はボールを使うことなので、まずはキャッチボールをしっかりやってほしい。打つ、守るにしても、必ず基本はあるので、その基本をしっかり教える指導者の方たちが増えてほしいと思います。私は『怪我をしづらい投げ方』があるとずっと言っていますけど、(そのコツは)『大きくしっかり肩を使って投げる』ということだけですから。

引用:NIPPON EXPRESS

 
また若いときにやってよかったことは?と聞かれて、こんな風にも答えています。
 

「走っておいてよかったなと思いますね。『そんなに走って何になるの?』って思うかもしれないですけど、説明しろと言われてもできない。『なんで野球選手は走るの? スポーツ選手は走るの?』と言われますけどね。でも、走っておいてよかったな、と思いますね」

「土台をしっかりしておいてよかったなと。『最近の子』という言葉は私は嫌いなのですが、例えば、走るよりもウエイトトレーニングをする時間はかなり増えましたね。あとは、細かい動き、アジリティーの練習ですね。これも増えました。そういうのはもちろんいいのですが、走ることは走ることでしっかりやったらいいのではないかなと。」

引用:NIPPON EXPRESS

 
走ることで体幹が鍛えられ、同時にスタミナが付いていたのでしょうね。
 
 
32年間も現役で続けられたコツについては、「決めた事をコツコツとやるだけ」と答えていますよ。実際に、現役時に続けていたことが以下のようにありました。
 

練習に関しては継続力が重要だと主張しており、言い換えるとほんのちょっとした努力をこつこつと続ける力が欠かせないという。現に山本は高校1年生の頃から2009年の時点で30年以上に渡って2kgのダンベルを左200回、右100回上げ下げするというごくささやかなトレーニングを先発の前日などでもない限り毎日欠かさず行っていることを明かした。

引用:Wikipedia

 
地道な努力が必要なんですね。
 
 
以上のことから山本昌広は、基本となることをシッカリこなすこと。そしてコツコツ継続的に続けたことが、野球で成功できた理由ではないでしょうか。
 
 
私は文章のスペシャリストになりたいと、毎日基本となる本を写す写経をこなしています。実際にこれを行うことで、文章力がアップしたと思いますね。

さらに体が資本ということで筋トレも毎日こなし、健康を維持しているのです。ここ何年も、風邪なんてひいたことありませんからね。
 
 
基本を継続的に続けることが大事!山本昌広を見習い、これからも努力を積み重ねたいですね。
 

まとめ

 


応援よろしくお願いします。m(__)m

 
山本昌広は何でも成長するために、人間観察も必要と言っていますよ。
 

練習には観察力が必要であり、例えば学校の部活の下級生なら先輩をよく観察し、補欠ならレギュラーとの違いをよく考えてみる必要があると主張している。

引用:Wikipedia

 
上手くなって生き残るためには、自分自身との比較も必要なのですね。研究熱心なことに、ある意味納得しました。
 
 
 

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